父の中には、間違いなく大きな喪失感があったと思うのだ。父が喪失したように感じていたのは彼が子どもの頃に過ごしていた、若き日に見ていた「古き良きニッポン」だ。
シンプルで、みんながちょっとずつ助け合わなくてはやっていけないぐらいにみんなちょっと貧しくて、たまに食べる外食のラーメンがとても贅沢で、仕事のあとに会社の仲間たちと飲む瓶ビールがとても冷えていて、頑張れば頑張っただけきちんとお給料に反映されていた、そんなニッポンを父は愛し、常に懐かしんでいた。…
…父の中では、古き良き美しいニッポンに対する慕情や喪失感は確実にあったのだ。
その気持ちに思い至って、ようやく腑に落ちた。
偏向言説者に変節したのちの父の中では、その美しかったニッポンに対する喪失感が、「それは何者かによって奪われた」「何かによって変えられてしまった」という被害者感情に置き換えられていた。その被害者感情こそが、以前の父からは感じられなかったものだったと気づいたとき、僕の中に「父は何者かに利用され、変えられたのだ」という答えが浮き彫りになってきた。
父は、その胸に抱えていた喪失感を、ビジネスに利用されたのだ。父の歴史を喰い荒らしてくれた輩がいたのだ。
読んでいて
辛くなる記事です
記者の「父」が「変節」したことが
辛いのではありません
「高潔さと愉快さを兼ね備えた思慮深い人物」だった「父」が
手軽に手に入る情報に基づいて
弱者を口撃するようになったことに
悲しさを覚えるのです
その変化の誘因として
「喪失感」があるのではないかと
記者は分析していますが
なるほど
それは
十分にありうることです
このことは
私を憂鬱にします
何故なら
失われていくのは「古き良きニッポン」だけではなく
「古き良き教会」もだからです
これから10年で
教会は 奉仕者不足 や 構成メンバーの激変を経験します
その中でも
「これまで通り」を続けていくわけにはいかないでしょう
核の部分は 保持しなければいけませんが
組織、形式、方法は作り変えていかなくてはいけません
もちろん
このことには
積極的な意味もあります
地の塩、世の光として
変わっていく地、世に対して
塩気の持ち方や照らし方を変えていくことは
教会の本来の務めです
けれども
転換をはかる際には
必ず、振り落とされる人たちが
出てきます
長年 培ってきた習慣、文化を 手放すこと
それは、誰もがすんなり出来ることではありません
信仰に関わる慣習は
心身の深い部分と結びついていますので
頭を切り替えるだけではすみません...
しかし
かといって
現状の維持を最優先にすることは
新しい可能性を殺し
新しい人々を排除することに
繋がります...
信仰の「父母」に敬意を払いつつ
信仰の「子供達」のために
場所を整えるには 一体どうすれば良いのか?
奪いとる変革は辛いですから
共に 主体的に「喪失」を選び取っていければ
これほど幸いなことはありません
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
ヘブル人への手紙11:13-16
【関連書籍】
鈴木大介著『最貧困女子』
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