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奉仕者に求められる研鑽とその落とし穴

最近

御言葉の奉仕者には

何処までの 知的研鑽が求められるんだろうか

と 考えさせられています


昨日は 妻に

「老松の最低限の基準が だんだん競り上がってる」と 指摘され

自分にも 他者にも

過剰なプレッシャーをかけてしまっていたと

少し 反省しました




私は 根は 気分屋で 飽き性です

もともと 勉強熱心でもありませんでした


しかし

 危うい教えと戦うため

 他人の人生を振り回さないため

 そして

 何より福音の豊かさを分かち合うために

学び続ける決心をしました


けれども

その思いに すぐに 身体がついてくるわけではありません

特に 読書習慣は なかなか身につかず

いろんな人に 祈ってもらっていた時期もありました


今となっては 読むことを あまり苦に感じなくなりましたが

それでも 英書や 歴史関係の本は

なかなかモチベーションがあがりません


また

原語の学びなどは 随分 疎かになっていると

感じています


ですから

常に「まだまだ」という意識があります




そのこと自体は 悪ではないですが

知的好奇心の肥大化を野放しにしてしまったり

知性に対して 過度の期待をかけてしまったりと

御しきれない問題に悩まされています


また

他者に対しても

「僕みたいな者でも 出来たんだから」

と 無駄に煽ってしまっている面もあると思います




きっと

突き詰めていけば

 わからないことを 神と人に尋ねられる謙遜さと

 間違いを指摘された時に 謝り 方向修正をする柔軟さ

 そして

 神を知ることへの貪欲さがあれば

それで 十分 なのでしょうね



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