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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

どうろうしゃ4

更新日:2020年4月17日

スタンリー・ハワーワス師が来日された2018年春から

クリス・ライス師が来日される直前の2019年夏前にかけて

日本キリスト教団出版局から出された和解の神学というシリーズがあります


その内の一つ 『赦された者として赦す』の下訳を

主事の後輩である岡谷和作神学生が担当しました


その彼に

翻訳に至るまでの経緯と

その過程で感じてきたことを

尋ねてみました




できるだけ多くの方に読んでいただきたい一冊


まだ手に取っておられない方にも

すでに読まれた方にも

翻訳者の思いに触れていただければ幸いです




・この本の翻訳に携わることになった経緯を教えてください。


KGKの夏期学校の講師をしてくださった藤原先生から韓国で行われた東アジア和解のフォーラムに招待していただいたことがきっかけでした。そこで韓国のIVFの総主事だったキム・ジョンホ氏を始め、和解の働きに関わる多くの方々に出会いました。その中でクリス・ライス氏(和解の神学シリーズの編集者)とも出会い大変感銘をうけました。参加した日本のメンバーの中で和解の神学を日本に紹介しようという動きが起こり、その中で平野先生に翻訳の下訳をやってみないかとお声がけをいただきました。まったくの翻訳初心者の自分にそのようなチャンスをいただき、本当に感謝しています。実は自分の大学時代の先行が平和学だったこと、また特にルワンダについてゼミで勉強していたこともあり、自分の大学時代に学んだことを神学的に振り返る良い機会だと思い翻訳に携わることを決めました。



・原書を読み始めた時、どのような印象を受けましたか? また、その印象は、翻訳の過程で変化していきましたか?


読み始めた時はルワンダでの悲惨な状況、またその中でも和解に生きることを選んだムセクラ氏の生き方に感動と衝撃を覚えました。しかし、次のジョーンズ氏の章になったとき全く違う意味で衝撃を受けました。ルワンダの出来事だと思っていた赦しと和解。それは実は遠い国の出来事ではなく、今私たちの目の前にある日々の現実と繋がっているということです。大学時代はルワンダの問題をどこか他人事として、ある種 上から目線で分析し、同じ悲劇を繰り返さないために何ができるかと議論していました。しかし「赦せない」という現実は自分たちの目の前にあり、自分自身が当事者であるということに目が開かれていきました。ルワンダは虐殺という「出来事」がフォーカスされがちです。しかしそれはあくまで結果であり、そこに至った「赦せない」という感情や思考は全ての人に、そして教会に存在している課題です。自分の中にもルワンダの火種がある。そう気づいた時、翻訳のモチベーションが変わりました。



・この本を読んでみて湧き起こってきた疑問、戸惑いはありますか?


疑問や戸惑いはたくさんありました。特に後半の「記憶の癒し」についての章は自分自身何度も読み直し、何度も自分が問われました。真の赦しとは記憶を忘れることによって「水に流す」ことではなく、記憶が贖われることによる。これは自分自身にとって大きなチャレンジでした。蓋をしていた記憶を開けるということは少なからずそこに付随している感情も呼び覚ますことになるでしょう。時と方法を間違えれば過去の記憶をいたずらに掘り起こし、パンドラの箱を開けてしまうような状況にもなりかねません。蓋をするのではなく、三位一体の赦しのダンスの中で記憶が贖われていくための具体的な方法やそのステップの見極め方についてもう少し詳しく学びたいと思いました。特に日本の文脈の場合他者との関係における「赦し」ということ以上に自分を赦すこと、自分との和解を必要としている若者が大勢います。世界的に最もセルフイメージが低いと言われている日本において、過去の失敗やトラウマの記憶が贖われ、自分との和解に導かれていくための実践的、牧会的な取り組みが日本の文脈においては必要であると感じました。



・「和作」という名前とシリーズ「和解の神学」の目指すところは、重なり合う部分があるように思います。今回の翻訳作業は、あなたの人生にとって、どんな意味を持つと思いますか?


和作という名前は「平和を作るものは幸いです。」(マタイ5:9)から取られています。今の所 大した平和はつくれていませんが、自分に「平和を作る」というのは人生の目標のようなものです。自分自身、この翻訳作業、和解のフォーラム、クリス・ライスとの出会いは自分のこれからのあゆみの方向性を考える上でも本当に大きなものとなりました。実は今アメリカのトリニティ神学校で学んでいるのも、和解の学びの中での出会いが大きなきっかけでした。トリニティでは10年前に和解の神学を福音的な文脈で体現するMosaic Ministryというミニストリーが始まりました。実は創立者のピーター・チャ教授はクリス・ライス氏に触発されて働きを始めています。現在トリニティ神学校の中で最も大きな学生グループとして、毎週60名以上の多種多様な背景から来る学生達が和解について学び、ディスカッションをしています。週末には実践の場としてシカゴ郊外の貧しい地域に出て行き、支援と伝道の働きをしています。神学的な学びと、和解の実践という自分にとって求めていた最高の環境で学べていることに本当に感謝です。



・この本を誰と共に読みたいと思いますか?


神学生など、これから働きに出ていく仲間とともに読みたいです。日本ではクリスチャンのミッションとしての「赦し」ということについてあまり教会内で語られていないように感じます。教会内でトラブルが起きる時の反応としてよく目にするのが、愛という名の元の安価な「赦し」、または蓋をすることで なかったことにすること、または特定の人物を追放することで解決を図るという方法です。誠実な赦しの反応と和解のプロセスが歩まれることをあまり見たことが無いように思います。正しく「赦す」こと、「赦される」こと、和解をもたらされたキリストを体現する共同体として和解を実践すること。これから教会に仕えていく者として重要な視座を与えてくれる本だと感じています。















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