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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

グレゴリー・ジョーンズ、セレスティン・ムセクラ著『赦された者として赦す』

 アフリカに西洋からキリスト教の宣教師が初めて来たとき、彼らの多くは、この世から召し出されこの世に遣わされるということについてある特定の考え方を持ち込んできました。新しい信仰者たちは、彼らが元々いた共同体から離れて、西洋の宗教に反対する親族からの迫害から守られ「養育」されるように宣教師館や伝道所で暮らすようにされました。住んでいた世界を後にした新しいクリスチャンたちは、新しい共同社会や村を開拓していきました。それは多くの場合、伝道所の近くではありましたが、今まで住んでいた世界からは隔離されたものでした。彼らは「あの者どもの中から出ていき」(Ⅱコリント六・一七)という命令を文字通りに解釈し、自らがそれまで一緒に暮らしていた人々から離れたのです。困難、侮辱、憎しみ、追放、嘲笑、そして死を耐え忍ぶのではなく、この新しい回心者たちは、彼らが持っていた小さな光を手に、新しく見出した信仰を守るために安全な環境に集まったのです。しかし人間的な罪のために彼らの共同体の中から光が消えたとき、この安全で安心であったクリスチャン共同体は、もはやこの世のために光っていたのか、それとも自分たちのために光っていたのかがわからなくなってしまったのです。その結果、彼らは以前の伝統的な慣習に戻っていきました。彼らが家に置いてきたと思っていた暗闇は、彼らが安全だと思った場所を新たな住処としました。その結果、多くのクリスチャンが民族主義的・部族主義的になり敵対的になってしまったのも不思議はありません。
 こうした歴史のため、多くのアフリカ人クリスチャンは、真理の御言葉やキリストにある大きな神の家族よりも、自らの教派に対して忠誠を誓うようになりました。多くの教団が特定の部族が住む特定の場所で始まったため、教団が特定の部族と結びついてしまったのです。彼らは排他的になり、その結果、他の部族や教団の信徒との交わりを持つことがなくなりました。そして実に多くの教派が単一民族によって構成されるようになったのです。今日、多民族と多文化からなる主要な都市においてさえ、日曜日の礼拝では自らの言語で礼拝する単一部族の教会が存在しています。これらの教会においては、その部族の人々はもちろんアットホームに感じるでしょう。しかし、他の部族から来たクリスチャンの兄弟姉妹は、良くて部外者、悪くすると敵と認識されてしまうのです。

赦された者として赦す』p.133-134より




新しい本を開く時に

常に私の頭の中にあるのは

「どう積み上げていくことが出来るのか?」

と問いです


これまで学んできたことと

今触れていることを結びつけ

物の見方を補強し

生き方を方向付けていく

そんな目的をもって

読書をしています




けれども

時々 単純に 加算方式では

位置付けられない本との出会いがあります


自分の中に落とし込むためには

どうしても

組み替え や 再構築が

必要となるのです




一般の信仰書で言えば『イエスの御名で』は

その一つでした


目指すべき奉仕者像を

大幅に 変えなければいけないと

痛感させられました


また

聖書神学の分野ですと

思い出されます


決して

衝撃的なことは記されていないのですが

「平和」というテーマを

周辺的な事柄と見なしていた私にとっては

猛省を 迫られるものとなりました







今回 手に取った『赦された者として赦す』は

タイトルからして

受け入れがたいものを感じていました


赦された者として赦すことが

クリスチャンに期待されていることは知っています


それは

否定しようのないことです


でも

だからこそ

向き合いたくないと思いました




しかも

この本の著者の一人が

ルワンダ虐殺の被害者の家族であることを知っていましたから

逃げ場も 言い訳も 見つけられないだろう

と 予想していました




そして...

事実

そうでした


追い詰められ

糾弾されるわけではありませんが

中心的な事柄を

疎かにしている事実を突きつけられました


加えて

そこから 着実に歩みを進めていく過程についても

教えられました




それでも

目を逸らしたいという気持ちは

容易には拭えません


心の中で

随分 ジタバタしていました




そんな時に

行き当たったのが

上記の引用でした




ここを読んだ時に

この赦しの課題を後回しにするなら

将来の教会に大きな禍根を残すことになることを

知りました


私たちの教会には

部族や階級のような明確なバッジはないかもしれませんが

やはり

「他者」を遠ざけるグループ意識のようなものはあります


それが もたらしうる悲劇の深刻さを

恐怖と共に 知らされました




私たちの行動原理は

愛であるべきですので

この恐れを 動機とすべきではありません


しかし

優先順位を

見誤ってはいけないことを

改めて 教えられました







相変わらず

歯切れの悪い態度を取ってしまうかもしれませんが

この書で 語られていることを

周囲のクリスチャンと 共有し

自分の中で 風化させないようにしたいと

願っています














【関連書籍】

スタンリー・ハワーワス, ジャン・バニエ著『暴力の世界で柔和に生きる

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