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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

借りた金 はした金じゃねぇぞ...

郵便受けのチェックを日課にしている次男


郵送物を見つける度に

わざわざ運んできて

同じことを 尋ねてきます


「シンセイショ とどいた?」

(数日前までは 何故か「リョウシュウショ」と言っていました)




ご飯の時も

必ずと言っていいほど

話題に上がるのは

「10マンエン」の使い道について


 何が 欲しいのか?

 誕生日と どっちが早いのか?

と...

子どたちは 真剣に ディスカッションしています


彼らにすれば

繊細一隅のチャンス


存分に 楽しめば良いと思っていますが...

同時に

親としては

やるせない気持ちになります


というのも

 これほどの莫大なお金を

 どのように捻出するかが

気がかりだからです




コロナの対策予算は

230兆円を超えるそうですが

そんな蓄えは

この国には ありません


当然 国債を発行するわけですが

それは

未来からの借金を

上積みすることを 意味します




今朝

次男が運んできてくれた新聞の記事には

こんなふうに記されていました


国と地方を合わせた長期債務の残高はすでに1100兆円を超え、先進国のなかで唯一、GDPの約2倍に達する。...財政健全化が遠のけば、国債市場などで日本への信認が揺らぎかねない。政府は目先の危機対応に追われるが、収束にこぎつけた後には、重い宿題に向き合わざるを得なくなる。

 長期債務の残高は

 すでに

 1100兆円

 GDPの約2倍...


きっと

莫大な額 なのでしょうが

悲しいかな

全く ピンときません




むしろ

実感を得るのに

役に立ったのは

昨日の記事の方でした


兵庫県加西市が新型コロナ対策の財源として、正規の全職員(約600人)から10万円ずつを寄付形式で集めることを想定した予算を組んだ。全国すべての人に一律10万円を配る「特別定額給付金」をあてこんだ取り組みで、市は任意とするが、職員から「半強制的な寄付だ」と反発の声が出ている。給付金をめぐっては、加西市以外にも自治体職員に寄付や負担を求めようとする動きが各地で出ている。

寄付を募ることの是非はさておき

このような策を 選択肢としてあげざるを得ないというのが

多くの自治体の実情なのでしょう


つまり

税収だけでは

とても 危機対応のための予算を

組めないのです


このままでは

財政破綻する地域が

出てもおかしくありません




そうすると...

子どもたち世代の負担は

ますます 増していきます







そういえば...

今朝の カテキズムは

十戒の第八戒に関するものでした


十戒の初めの四つは、私たちが神さまに対してどのように行動すべきかを教えています。それら四つの命令は、神さまから盗んではならないと警告しています。私たちが神さまに当然ささげなければならない礼拝をささげないとしたなら、あるいは神さま以外の人や物に礼拝をささげるとしたなら、私たちは神さまから盗んだことになります。後半の六つの命令は、人々に対してどのように行動すべきかを教えています。第八戒は特に、ほかの人から盗んではならないと警告しています。私たちには神さまを敬い、礼拝し、そして神さまに従う義務があります。そのような義務を果たさないことは、神さまから盗むことになります。人は神さまのかたちに造られているので、私たちは人々を敬わなければなりません。人々を敬う一つの表し方は、その人の持ち物を大切にすることです。

スター・ミード著『主を知り、主を喜ぶ』p.287-8より


現代の資本主義のシステムでは

複雑に 迂回が 繰り広げられていますので

何が 適切な方策なのか 単純に言えませんが

少なくとも

返せるあてがないのに

借り続けることは

持ち物を大切にすること」には なりませんよね




有権者である私たちは

未来を生きる子どもたちに

謝らなくてはいけない...

と 感じています




「シンセイショ」が

最後のカーニバルの招待状とならないことを

願うばかりです


だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。

ローマ人への手紙13:8


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