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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

会うこと

更新日:2019年12月24日

ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに(G0529)出なさい』と叫ぶ声がした。

マタイの福音書25:6


ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが、アピイ・フォルムとトレス・タベルネまで、私たちを迎えに(G0529)来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。

使徒の働き28:15


それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会う(G0529)のです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

テサロニケ人への手紙第一4:17




聖書には

数回しか使われていない単語がたくさんあります




「会うこと」を意味するἀπάντησις apantēsisも

その一つです


用例があまりないので

ニュアンスをつかむのが難しいのですが

辞書を開いても 詳しく説明されているわけではありません


"meeting"としか記されていません




こういう場合

より細かくこの語について知るには

古典ギリシャ語の辞書を開くか

旧約聖書の用例を見るしかありません




少し古いものですが 大学書林発行の『ギリシャ語辞典』には

新約聖書の用例と全く同じ形に

「出迎えに」という訳があてられています




また 旧約聖書には

この語が 新約聖書の場合と 全く同じ前置詞を伴って

30回以上用いられています(士4:18, 11:31, 11:34, 14:5, 15:14, 19:3, 20:25, 20:31, Ⅰサム4:1, 6:13, 9:14, 13:10, 13:15, 15:12, 25:32, 25:34, 30:21, Ⅱサム6:20, 19:25, Ⅰ歴12:17, 14:8, 19:5, Ⅱ歴12:11, 15:2, 19:2, 20:17, 28:9, エレ27:3, 41:6, 51:31参照)


これらのほとんどが

לקראת liqraʼt

という前置詞 + 動詞のinfinitive(不定詞)の訳語として使われています




そして

このヘブライ語の用例に 目を留めますと

ἀπάντησιςの同意語として

συνάντησις sunantēsisという言葉が用いられていることがわかります


この語は70回も使われていますが

その内には以下のような用例があります


彼が目を上げて見ると、なんと、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはそれを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏した。

創世記18:2


その二人の御使いは、夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって彼らを迎え、顔を地に付けて伏し拝んだ。

創世記19:1


モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

出エジプト記19:17




このように見ていくと

ἀπάντησιςは

出くわすこと や 待ち合わせして何処かに行くようなmeetingではなく

誰かを迎え入れること

その場で 向き合うことを指しているのではないかと

推測できます




そう思うと

テサロニケのἀπάντησιςは

「主を迎えるために」もしくは「主との会見のために」

と 訳した方が 良いのかもしれませんね


ちなみに

この箇所は以下のように訳されています

続いて、生き残っているわたしたちが彼らと一緒になり、雲に包まれて、主を迎えに空へ引き上げられていくからです。こうして、わたしたちはいつまでも主とともにいることになります。











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