ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに(G0529)出なさい』と叫ぶ声がした。
マタイの福音書25:6
ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが、アピイ・フォルムとトレス・タベルネまで、私たちを迎えに(G0529)来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
使徒の働き28:15
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会う(G0529)のです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
テサロニケ人への手紙第一4:17
聖書には
数回しか使われていない単語がたくさんあります
「会うこと」を意味するἀπάντησις apantēsisも
その一つです
用例があまりないので
ニュアンスをつかむのが難しいのですが
辞書を開いても 詳しく説明されているわけではありません
"meeting"としか記されていません
こういう場合
より細かくこの語について知るには
古典ギリシャ語の辞書を開くか
旧約聖書の用例を見るしかありません
新約聖書の用例と全く同じ形に
「出迎えに」という訳があてられています
また 旧約聖書には
この語が 新約聖書の場合と 全く同じ前置詞を伴って
30回以上用いられています(士4:18, 11:31, 11:34, 14:5, 15:14, 19:3, 20:25, 20:31, Ⅰサム4:1, 6:13, 9:14, 13:10, 13:15, 15:12, 25:32, 25:34, 30:21, Ⅱサム6:20, 19:25, Ⅰ歴12:17, 14:8, 19:5, Ⅱ歴12:11, 15:2, 19:2, 20:17, 28:9, エレ27:3, 41:6, 51:31参照)
これらのほとんどが
לקראת liqraʼt
という前置詞 + 動詞のinfinitive(不定詞)の訳語として使われています
そして
このヘブライ語の用例に 目を留めますと
ἀπάντησιςの同意語として
συνάντησις sunantēsisという言葉が用いられていることがわかります
この語は70回も使われていますが
その内には以下のような用例があります
彼が目を上げて見ると、なんと、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはそれを見るなり、彼らを迎えようと天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏した。
創世記18:2
その二人の御使いは、夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところに座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって彼らを迎え、顔を地に付けて伏し拝んだ。
創世記19:1
モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。
出エジプト記19:17
このように見ていくと
ἀπάντησιςは
出くわすこと や 待ち合わせして何処かに行くようなmeetingではなく
誰かを迎え入れること
その場で 向き合うことを指しているのではないかと
推測できます
そう思うと
テサロニケのἀπάντησιςは
「主を迎えるために」もしくは「主との会見のために」
と 訳した方が 良いのかもしれませんね
ちなみに
『[原文校訂による口語訳]聖書』では
この箇所は以下のように訳されています
続いて、生き残っているわたしたちが彼らと一緒になり、雲に包まれて、主を迎えに空へ引き上げられていくからです。こうして、わたしたちはいつまでも主とともにいることになります。
Comments