top of page
執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

F. F. Bruce"Who are the Brethren?“を読む1

更新日:2020年2月14日

先日、F.F.Bruceの書いたWho are the Brethren?という論文を見つけました



彼は私にとっては

the man of Brethren

ブレザレン運動を最も体現する人物の一人です


聖書に徹底的にこだわる

という私たちにとってのコアバリュー、中核的価値観に

生涯をささげたクリスチャンです


そのブルースが

ブレザレンについて語る


それだけでも 胸が高鳴ります




その全文を掲載したいところですが

著作権上の問題がありますので

特に 印象に残った部分を紹介したいと思います




一つ目は

この運動の起源、発端です


ORIGIN
The Brethren movement originated around the year 1825, although the Brethren commonly insist that their roots are really in the apostolic age, for they aim as far as possible at maintaining the simple and flexible church order of New Testament times. In the earlier part of the nineteenth century the barriers separating the various Christian denominations were less easily surmounted or penetrated than they are today. The founders of the Brethren movement were a group of young men, mostly associated with Trinity College, Dublin, who tried to find a way in which they could come together for worship and communion simply as fellow-Christians, disregarding denominational barriers. They had no idea that they were starting a movement; still less had they any thought of founding a new denomination, for that would have defeated the very purpose for which they came together. For a time some of them continued to be members of their original churches, in which indeed a few of them were ordained ministers;

以下に私訳を載せておきます


起源
ブレザレンは、一般的に自分たちのルーツは使徒時代にあると主張し、新約聖書時代のシンプルで柔軟な教会秩序を、可能な限り維持することを目指しています。しかし、実際には、ブレザレン運動は1825年ごろに始まりました。19世紀初頭おいて、さまざまなキリスト教の教派を隔てる壁は、現在ほど容易に乗り越え、入り込むことができないものでした。ブレザレン運動の創設者は、主にダブリンのトリニティカレッジに関わる若者のグループでした。彼らは、教派の壁にとらわれずに、単にクリスチャンの仲間として、礼拝と聖餐のために集まる方法を見出そうとしました。彼らは自分たちが、新たな運動を始めるつもりはありませんでした。新しい教派を設立することも考えていませんでした。というのは、新しい教派を作ることは、彼らが共に活動する目的を台無しにするものだったからです。しばらくの間、彼らの何人かは、元々の教会の会員であり続けました。事実、彼らのうちの数人は叙任された牧師でした。

ここで注目したいのは

初期のメンバーが

教派間の一致、協力を追い求めていたということです


彼らは堕落し、腐敗した教会に嫌気がさし

そこから決別するために集まったのではなく

互いに 別々の群れに属しながらも

その分断を乗り越えるために

交わりを持ち始めたのです


このような動機、志が

この運動を突き動かしていたことは

ハロルド・ロウドンも指摘しています


創始者は皆、教会の分裂状態を深く憂慮していた。彼らは、自分たちの簡素な聖餐式が、教派を超えてクリスチャンの親交の手段となり、同時に、万人祭司の立場を表明することによって聖職制度が不必要になることを望んでいた。

キリスト教2000年史』p.526より




そんな「親交の手段」として

彼らが聖餐式つまりパン裂きを選んだことは

とても 興味深いことです




パウロは

コリント人への手紙の中で

次のように書いています


パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。

パウロは

パンを食すことは

キリストの体の一体性を表すものだと

考えていました


偶像礼拝の誘惑が迫る中で

その試練に一致して立ち向かうためにも

パン裂きがふさわしく守られなければいけない

と 捉えていたのでしょう


単に私的に十字架の御業に思いを向けるだけでは

パン裂きを尊ぶことにはなりません


同じ霊的な食べ物を共有する ほかの人の利益を求めることが

パン裂きにのぞむふさわしい態度なのです




ブレザレンを始めた若者たち(a group of young men)が

どれほど そのことを意識していたかはわかりませんが

彼らには相当の覚悟があったことは間違いありません


歴史と伝統のある英国の教会のメンバーとして

教会外で 聖餐を執り行うことには

それなりのリスクがあったはずだからです


当然 非難、批判も受けたことでしょう


それでもなお 一つになることを優先した先人の勇気に 心打たれます






閲覧数:26回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「再臨運動」は起こらずとも...?

母校の聖書宣教会から届いた通信 その中の「学びの窓」に記されていた「再臨運動」に関する文書が 心に留まりました 内村鑑三、中田重治、木村清松によって始められた「再臨運動」 それから100年の月日が過ぎたようです その「再臨運動」を振り返って 若井先生は...

Comments


bottom of page