三八-三九章で述べられているゴグに関する一連の預言は、エゼキエル書の中でも最も難解な箇所の一つである。あまりに難解であるために、各節の言葉は解釈できても章全体としての意味はほとんど把握できないという、まじめな註解者たちもいる。かと思うと、自分たちの時代の出来事に照らし合わせてこれらの預言を自由に解釈し、その解釈の不適切さには一向に気づかない註解者たちもいる。しかしどちらの立場を取るにしても、まず解釈上の難しさをはっきりと認識することが賢明であろう。
...
(a)消極的立場から言うならば、これらの預言は二十世紀(あるいは他の時代)の予告であるという仮定に立って、単純に解釈してはならないということである。最近の註解者たちの中では、マゴグをロシアに、メセクをモスクワに、トバルをトボリスクに解するのが流行となっている。そういう解釈法は、控え目に言っても、極めて危険である。それは、預言の真意を探り当てるものではなく、むしろ現代の心の歪みを表わすものであろう。(b)次に積極的な立場から言うならば、註解者はこの部分の不明瞭さを認めるが故にこそ、これら二章に預言者の中心的メッセージを見出そうとするのである。そのメッセージとは、神が人間の歴史を支配しておられる、ということである。より正確な言い方をすると、神が人間の歴史を支配される目的は、すべての国民に神の聖なることを知らせるためなのである(三八・一六、二三、三九・七、一三)。
『エゼキエル書』p.414, 416より
30年以上前に出版された スタディ バイブル
所謂 デボーション ブックからの引用ですが...
ここでなされている問題提起が
今でも 有効で 有益で あることに...
複雑な 感情を覚えています
というのも
「マゴグをロシアに、メセクをモスクワに、トバルをトボリスクに解する流行」が
未だに 収束していないからです...
(どれとどれを結び合わせるかに関しては ヴァリエーションがありますが...)
クリスチャンが
個人的な楽しみのために
こういう読み方をするならまだしも
未信者向けの 対外的なメッセージにおいて
今でも このような「解釈」が披露されている現実に
驚きを禁じえません
もちろん
見て見ぬふりすることも可能ですが
それは それで 無責任なような気もします...
歴史学者の呉座勇一さんは
珍説 奇説について 以下のように述べておられますが
これは そのまま 不適切な預言解釈にも
あてはまるように思います
そもそも、なぜ人は「陰謀論」になびきやすいのでしょうか。それは、人が「一般には知られていない見方や、メディアでは語られていない裏情報」を知ることに優越感を覚えてしまうからです。
「ごく一部の人しか知らない情報」に接すると、「世界の真実」を知った優越感から、人にそれを話してしまう。それを受けた人がまた人に話して……が繰り返されて、陰謀論が広がってしまう。
「陰謀論」が次々に生まれる要因としてよく指摘されるのは、近年のメディア不信です。けれども私は、研究者や学者が、陰謀論に対して「おかしい」と声をあげてこなかったことにも原因があると思っています。
陰謀論のやっかいなところは、否定されることがマイナスにならないことです。いくら専門家が論破しても、「彼らは真実を隠蔽している」「資料が改ざん・破棄された」と言い逃れすることができます。
否定されればされるほど「我々は真実を探究するがゆえに、真実を隠蔽したい既存の勢力から迫害されるのだ」と逆転の発想ができるのです。これは殉教者の感覚であり、そういう意味で新興宗教と通じるところがあります。
こんなことを言われると、真面目に研究している人たちはバカバカしくなって、彼らの相手をしなくなります。
気持ちは分かりますが、そうやって放置した結果、陰謀論が蔓延してしまったのです。このままでは社会秩序の混乱を生じかねません。
(↑この記事は、ぜひ 全文を読んでみてください)
私自身は
決して「学者」ではありませんし
ましてや 預言書の「専門家」でもありません
しかし
「研究者」の見解にアクセスすることを許された者として
いくつかの 意見を紹介させていただきたいと思います
まず
手近なところから
ティンデル聖書注解の『エゼキエル書』を開いてみましょうか
この注解書には
「ゴグ」そして「マゴグ」について
次のように記されています
「ゴグ」は、これまでさまざまに同定されてきた。まず、リディアの王ギゲス。彼はアッシュール・バーン・アプリの記録ではグーグと呼ばれている。あるいはガガイアという地名で、テル・エル・アマルナ文書では、未開人の地として言及されている。ラス・シャムラ文書からはガガという神が見いだされ、これをゴグと同定する提案もなされてきた(Ennuma Elish, Ⅲ: line 2)。他の学者たちは、ゴグをアレクサンドロス大王のような歴史的人物と見てきた。最も可能性が高いのは、最初の説であるが、名前の起源は、それが象徴している内容ほど重要ではない。その象徴とは、神の民を破壊しようとしている悪の諸力の、擬人化されたかしらである。「マゴグ」の名は、創世10・2(=Ⅱ歴代1・5)に一度言及されている以外、旧約聖書には出て来ない。その箇所で、彼はヤペテの息子の一人であり、ひとつの民族〔あるいは国家〕の創設者である。黙示録20・8で、マゴグはゴグと関係づけられた一人の人物であるが、エゼキエル書においては、このことばがゴグの住んでいた国を表現するつもりで使用されていることはほぼ確実である(RV, RSVのように)。」
ジョン・B・テーラー著『エゼキエル書』(ティンデル聖書注解)p.259-60より
この引用から
何よりも 確認しなければいけないのは
学者間でも 意見が分かれているということです
「ゴグ」や「マゴグ」を
何と もしくは 誰と 同定すべきかについて
定説やコンセンサスは ありません
そのような曖昧さを認めるならば
この箇所から
断定的な物言いをすることは
避けるべきでしょう
また
もう一つ 注目したいのは
ゴグが
(悪の諸力ではなく)
歴史上の人物だとしても
リディアやギリシアのような国々は
ロシアよりも
ずっと ずっと 南方に位置するということです
Ralph Alexanderという学者は
ロシアなどを この箇所と結びつけることについて
次のように述べています
The biblical and extrabiblical data, though sparse, imply that Meshech and Tubal refer to geographical areas or countries in modern eastern Turkey, southwest of Russia and northwest of Iran. This, however, gives no basis for identifying these place names as any modern country. Some see in Meshech and Tubal references to the modern Russian cities of Moscow and Tobolsk. But there are no etymological, grammatical, historical, or literary data that support such a position. It can be concluded that Gog is a person from the region of Magog who is the prince, the chief ruler, over the geographical areas, or countries, Meshech and Tubal. These land areas or countries appear to be located generally toward the south of the Black and Caspian seas in the modern countries of Turkey, Russia, and Iran.
(言うまでもないことですが)
38:2にある「メシェクやトバル」を
モスクワやトボリスクと結びつける語源的、文法的、歴史的、文学的資料は
一つも ないのです
このことは
十字架と復活をはじめとした歴史的事実を大切にするキリスト教信仰においては
とても 重要なことです
それでは
ゴグやマゴグとは
一体 何なのでしょうか?
冒頭で引用したクレイギは
次のような可能性を提示しています
歴史的に解釈すべきか、黙示的に解釈すべきかという問題には、さらに難しい問題が伴う。エゼキエル書は、バビロンに対する裁きの言及が欠けている点で注目に値する。宗教上の迫害が著作に影響を与えることは、何世紀もの間見受けられてきた。バビロンの捕囚民であったエゼキエルも、もしバビロンについて書きたければ、その名前を明示しなかったであろう。従ってこれら二章は、反体制的著述と呼ばれる要素を含んでおり、内容も必然的に不明諒にされ、初めのうちはどこかに隠されていた、ということも十分に考えられる。
p.415より
もちろん
この見方は あくまで仮説です
しかし
これは 根拠のない妄想の類ではありません
Daniel Bodiは
次のような興味深いコメントをしています
It is often suggested that in this oracle one may be dealing with an example of cryptography, one of the techniques elaborated by the Mesopotamian scribes and adopted by the later rabbinic midrash. If Magog (m-g-g) is written backward, one obtains Gagam (g-g-m). To this one applies the procedure of cryptic writing called atbaš by the rabbis, where each letter of the Hebrew alphabet is replaced by the preceding one. In this manner one obtains (b-b-l) or Babel or Babylon. The use of cryptography or coded messages is well documented in Mesopotamian texts. The recognition of the technique of cryptography would provide a prophetic invective against Babylonia, the only one that is missing in Ezekiel’s prophecy. It is particularly significant that this kind of cryptography is amply attested in Babylonian incantations.
mgg→ggm→bbl→Babel
と 聞きますと
私たち日本人には 冗談のように聞こえますが
実際に 似たような実例があるわけですから
「ありえない」と 一蹴するわけにはいきません
ただ
先ほども指摘したように
このような同定は
一つの選択肢に 過ぎないものですが
エゼキエル書を
歴史的脈絡において読もうと試みているという点では
ロシアと結びつけるより ずっと健全なものです
私は
特異な解釈を展開される方を
全否定するつもりはありません
「たくさんの人に神様を知ってほしい」
そんな 善意に基づいて
メッセージをしておられるのも
理解できます
しかし
「歴史の種明かし」のようなアプローチでは
語り手の奇抜さばかりが目立ってしまって
結局 肝心の 神の主権というテーマが
影を潜めてしまいます
ですから
あくまで
著者の本来の意図を
追い求めたいものです
「ロシア」という言葉さえなかった
2000年以上前から
エゼキエル書を通して 語りかけてくださっていた神様は
今も
生きて働いておられるのですから...
【関連書籍】
グレース・ハルセル著『核戦争を待望する人びと』
Comentarios