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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

「ブラザレンについての諸断章」を読む3

更新日:2019年7月15日

こういう状況を見ていると、運動の初期の出発点では、他の教会の方々の集会からの信者を多 く受け入れ、そして、大きくなってきたこと、他の教会の影響を受けながら、拡大していったことを見ることができるように思います。本来、他派との差別化からの出発をはかったというよりは、信者として聖書に忠実に従う一つの群れができないか、ということを考えた結果、他の教会に集う上での問題を抱えておられた信者の方を引き寄せて言った、という事を見ることができる ように思います。この後、1840年代後半に発生したプリマスでのある出来事が、独立型(オープ ン)ブラザレン、連結型(エクスクルーシブ)ブラザレンの2グループに分かれていく原因となります。その意味でも、ブラザレン運動にとっては、プリマスということは特別の意味を持つ場所の ようです。



教派・教団が生まれるきっかけは

主に4つぐらいあるのではないかと思います


  1. 一人のリーダーが教派・教団から独立し開拓伝道を始め、信者を集める

  2. 一つの教会や教派内のグループが教派・教団から独立(分裂?)する

  3. 既存の教会のリーダーたちが協力していくうちに、別の教派・教団を形成されていく

  4. 理念や背景が似ている教派同士が、自覚的組織的に合同する


Brethrenの始まりは

3つめに分類されるでしょう


キリスト教2000年史』にも 以下のように記されています


 主要な創始者である英国国教会福音主義派は、福音主義運動が十分に行き渡っていないと感じていた。また、当時の非国教徒の幾つかの特質を嘆かわしく思っていた非国教徒も加わっていた。
 創始者は皆、教会の分裂状態を深く憂慮していた。彼らは、自分たちの簡素な聖餐式が、教派を超えてクリスチャンの親交の手段となり、同時に、万人祭司の立場を表明することによって聖職制度が不必要になることを望んでいた。また、キリストの再臨が近いと信じており、聖書に権威を置くよう訴えかけた。彼らは、この世における所有、快楽、地位を一切放棄していた。初期の指導者はカルビン主義の教理を固辞し、多くが熱心な伝道者でもあった。やがて彼らは、礼拝と教会生活の独特の様式を発展させた。

ハロルド・H・ロウドン「ブレザレン」より




このように

もともとはmovementだったものが

教派・教団となっていくというパターンは

決して 珍しくないと思います




この現象の面白いところは

何処かで

受容から差異化へと向かう転換点があることです


その草創期においては

メンバーは流動的で

境界線も明確ではないのですが

運動が軌道に乗り始めると

徐々に「内」と「外」がはっきりとしてきます


メンバーシップが曖昧ですと

コアバリューの継承が難しいですから

「誰が「仲間」なのか?」が問われるようになるのは

ある意味 当然のことです


しかし

Brethren運動の一部は

そこから さらに一歩進んで

他教派からの断絶の方向に向かっていきます




超教派的にクリスチャンを迎え入れて 形成されていったグループが

新たな「教派」となっていき

やがて「反・超教派的」な群となっていくというのは…

考えてみると

とても 興味深い現象です




そして

この一連の流れは

日本の教会の歴史においても

散見されるものです


Brethrenに限らず

超教派的な活動に否定的な教会は

少なくありませんが

しかし

そのような教会のルーツを辿ってみますと

多くの場合

超教派的な要素を 見出します


 開拓された宣教師が 超教派の宣教団体から送り出されていたり

 宣教師ご自身が もともと他教派のメンバーであったり

 開拓当初は超教派的な協力関係を築いていたり…


そのような歴史的経緯が十分に伝達されない故に

孤立化に向かっていくことが

しばしばあるのではないでしょうか?




「他者」との交流は

identityの危機をもたらしかねませんので

超教派の活動から距離を置かれる方々の気持ちは

理解できます


けれども

行き過ぎた締め付けは

メンバーの流出の危険性もはらんでいる

ということも また 歴史が教えています




このように考えると

いつ どこに どのように

境界線を引くのかは

集団の行く末を 方向付けるものだ

とわかります







ところで

大きな集団への帰属意識が希薄になっていくことは

現代の傾向の一つです


その中で

教派・教団としてのまとまりを保っていくことは

ますます困難になるでしょう


教会の少子高齢化が進み

奉仕者不足が深刻化すれば

「教派・教団を維持すべきなのか?」

という議論が当然持ち上がってくるはずです


「理念や背景が似ている教派と合同すべきではないか?」

という意見や

逆に

「教派・教団を切り離して より自由に活動すれば良いのではないか?」

という意見も出てくるでしょう


その時には

必ず意見の対立が

生じてきます




 分離 流出 包摂 差異化 分断


そのような現象も

過去の出来事ならば

「面白い」「興味深い」と分析することが出来ますが

その只中にあると

なかなかクールに割り切れません




 自身の群の歴史を重んじること

 他教派 他教会に敬意を払うこと

 生身の人間に向き合うこと

 そして

 公同の教会の一致を目指すこと

これらのふさわしいバランスとは

どのようなものなのか...


考えても 考えても 答えが出ません笑


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