It is practice rather than doctrine that marks them out. Among Open Brethren baptism is administered only to people who make a personal confession of faith in Christ, whether they are adults or children; and the mode of baptism is immersion.
They observe the Lord's Supper every Sunday morning (and occasionally at other times), and hold that the Lord's Table is for all the Lord's people. This, in fact, is their most distinctive gathering. When they meet for communion, together with any Christians who care to join them for this occasion, their devotions are conducted by no presiding minister and follow no prearranged sequence, but are marked nevertheless by a reverent spontaneity and orderliness. Various brethren contribute to the worship by suggesting hymns to be sung, by leading the congregation in prayer and thanks giving, or by reading and expounding a passage from the Bible.
私訳
ブレザレンを特徴づけるのは、教義ではなく実践です。オープン・ブレザレンの群れにおいては、バプテスマは、大人であろうと子供であろうと、キリストに対して個人的な信仰告白をした人々にのみ施されます。そして、バプテスマの様式は、浸礼(全身を水に浸す形)です。
彼らは、毎週日曜日の朝に(そして、時々他の時にも)「主の晩餐」を、守っています。そして、その「主の食卓」は、全ての主の民のためのものであると考えています。実際のところ、これはブレザレンの最も特徴的な集まりです。その場に加わりたいと願うあらゆるクリスチャンと共に、聖餐式(パン裂き)のために集まる時、彼らの献身(礼拝)は、特定の聖職者によって執り行われず、事前に決められた順序にも従いません。しかし、それにもかかわらず敬虔な自発性と秩序が、顕著に見られます。個々の兄弟が、歌う賛美を提案したり、祈りと感謝をささげて会衆を導いたり、聖書を読んで説明したりすることによって、礼拝に貢献しています。
他の教派の方々にとっては
いくらか刺激的かもしれませんが
諸集会の方々にとっては
ごくごく当たり前のことが記されています
しかし
注意して読むと
ブレザレン運動の本質について考えさせられる説明が
なされていることに気づきます
再び 英文を引用します(上記のものの一部です)
They observe the Lord's Supper every Sunday morning (and occasionally at other times), and hold that the Lord's Table is for all the Lord's people. This, in fact, is their most distinctive gathering. When they meet for communion, together with any Christians who care to join them for this occasion…
まず
and occasionally at other times
というフレーズ
日曜日の朝以外にも
時々、パン裂きがもたれていると
わざわざコメントされています
ここに
パン裂きは
主日に限定されるべきではないという
ブレザレンのスピリットが
言い表されているように
思います
そして
the Lord's Table is for all the Lord's people.
と
together with any Christians who care to join them for this occasion
という二つのセンテンスは
見落とすわけにはいきません
主のパン裂きは
特定の教会の会員のためのものではなく
あらゆる主の民のためのものであることが
強調されています
以前にも触れましたが
この二つの点は
ブレザレンの起源と深く結びついているものです
ブレザレンが
教派間の一致を体現するために
平日の晩に、パン裂きをすることから始まったからこそ
その集まりは
常に occasional(臨時的)な要素を保ち
常に open(開放的)でなくては いけないのです
逆に言うと
同じ主を信じる他教派の方を
選別したり
侮蔑したりする考えは
退けられなければいけませんし
特定の形に
過度のこだわりを持つことも避けなければいけません
ブルースは
別の箇所で
ブレザレン運動の初期メンバーの1人であるグローブスをとりあげて
こう論じています
George Muller's brother-in-law, Anthony Norris Groves (1795-1853), has claims to be regarded as the first of the Brethren. He gave up a dental practice in Exeter to become a pioneer missionary, first in Baghdad and then in India. He was a man of large-hearted sympathies, who never forgot that the things which unite Christians are immeasurably more important than the things which divide them. 'I would infinitely rather bear with all their evil', he said of some people with whom he seriously disagreed, 'than separate from their good.' Whether those features which he thought to be evil were so in fact or not, his words express the attitude which Open Brethren acknowledge as their ideal.
私訳
ジョージ・ミュラーの義理の兄弟、アンソニー・ノリス・グローブス(1795-1853)は、自らがブレザレンの最初の兄弟だと見なされるべきだと主張しています。彼はエクセターの歯科医を辞めて、最初はバグダッドで、その後インドで開拓者宣教師になりました。彼は心が広く、共感力に優れた人でした。彼はクリスチャンを団結させるものが、彼らを分断するどんなものよりも、重要であること、その計り知れない価値を、決して忘れませんでした。グローブスは、彼に真剣に反対した人々について「私は、彼らの善から分離するよりも、むしろ彼らのあらゆる悪に際限なく耐え抜きたい」と語りました。彼が悪だと考えたものの特徴が、実際どのようなものであったかにかかわらず、彼のこの言葉は、オープン ブレザレンが彼らの理想として掲げている態度を表しています。
'I would infinitely rather bear with all their evil than separate from their good.'
このグローブスのモットー
ブレザレンの理想を
どれぐらい実感出来るかはわかりませんが
パン裂きの場で これが 実現されることを願います
そのためには
まずは、パン裂きについての
教派間の対話が
必要かも しれません
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