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『ジョージ・ミュラーの思想形成における フランケの敬虔主義の影響について』を読む1

(ジョージ・ミュラーは)1886 年には,船路で日本に80歳を超えて訪問し,新島襄の招きで同志社でも講演している(木原,1999)。この講演内容が石井十次,山室軍平の人生を決定的に変える転機になったことはすでに明らかにしてきたところである(木原,1999;木原, 1993)。その世界宣教には英,独,仏語を流暢に使いこなすことができたミュラーの言語的才能が役立ち,それが用いられたと言われているが,晩年,彼の事業の成功の秘訣 を尋ねられたときの一言は,「私自身が,自分自身を神に完全に明け渡すことを学んだ 時以来,自分自身に対して死ぬこと,つまりはジョージ・ミュラーに対して死に,世界 に対しても死ぬということ・・・」(“There was a day when I died, utterly died ; . . . died to George Muller . . . died to the world . . . and since then I have studied only to show myself approved unto God.”)(Pierson, 1899 : 367)であるが,この言葉は,彼の人生そのものを 象徴している格言のようでもある。(Müller, Narrative & Autobiography)



歴史を辿っていますと

非直径の「継承者」の存在に

気づかされることが しばしばありす


ある歴史的指導者の系譜に連なる者ではなく

継続的な交流など ほとんどなかった人が

限られた機会で強い感化を受け

彼の精神を引き継ぐようになる


こういう現象は

時代と場所を超えて

繰り返されてきました


キリスト教の歴史の中でも

 モラビア兄弟団とウェスレー

 ムーディーとケンブリッジ セブン

など

すぐに具体例をあげることができます




ミューラー と石井十次や山室軍平

そしてこの論文の主題であるフランケとミュラーの関係も

同じように位置付けることが出来るでしょう


このような事実は

後継者の不足に悩む人たちにとっては

希望になりえます


受け継いだスピリットを引き継ぐ相手を

直接生み出すことが出来なくても

「もしかしたら誰かが…」と

期待を持つことが出来るからです




また一方で

このことは

ある種の戒めともなります


歴史的、組織的に繋がりがあるだけでは

自動的に 先駆者の思いは 受け継げません

グループのよそ者の方が

先人の考えを体現することだってあるからです




私たち諸集会は

ジョージ・ミュラーの運動の流れを組む者ですが

群の中には

ミュラーのように社会事業に取り組むクリスチャンは

あまり多くありません


そのことは

必ずしも

ミュラーの精神からの逸脱を意味するわけではないでしょうが

石井十次や山室軍平のように

彼の心を受け取った人たちの働きを

他人事のように考えるのも

何か...違っている気がします...




それ以上に関心があるのは

教会形成のあり方 です

私たちが大切にしているものは

ミュラーのそれと重なるのか?


気になるところです…




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