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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

『ヨブ記』(新聖書講解シリーズ 旧約10)













契約があらわすキリスト』の監修者である 清水武夫師が著されたヨブ記講解


この本は

契約神学的枠組みが

色濃く反映された内容となっています


 ヨブ記の中では、主がヨブの名前が挙げられる時には、いつも「わたしのしもべヨブ」と呼んでおられる。これは、一8、二3、四二78に出てくる。主はサタンとヨブの友人たちに語られる中で、ヨブが御自分のしもべであると言っておられる。特に、四二78の、主がエリファズに言われたことばは、注目に値する。そこでは、四回も「わたしのしもべヨブ」と繰り返し言われていて、少し「くどい」とさえ思われるほどである。
 このように主が、親しく「わたしのしもべ」と呼んで下さっている人は、旧約聖書の中でもあまり多くはない。その例は、モーセ(Ⅱ列王二一8)、カレブ(民数一四24)、ダビデ(Ⅱ列王一九34)、ゼルバベル(ハガイ二23)、メシヤとして来るべき主のしもべ(イザヤ四二1、五二13)などである。これらの人物は、特に主によって選ばれた人々である。彼らと主の関係は、契約関係にある主としもべである。
 主がヨブの名前を言う時に必ず「わたしのしもべ」と言われることは、主とヨブの間に契約関係があったことを示している。ちなみに、この「しもべ」ということばは栄誉称号である。

『ヨブ記』(新聖書講解シリーズ 旧約10)p.19より


果たして

「しもべ」という「栄誉称号」から

「契約関係」に結びつけることができるのか?


それは 議論の余地のあることだと思います


けれども

このフレーズが

主とヨブとの親密さを

あらわす表現であるということは

たしかなことでしょう




この講解では

そのヨブと主との関係が

どのように深められ

ヨブの神理解が

どのように進展していっているかが

示されています


ヨブと友人たちとの対話は

堂々巡りのやりとりのように

見えますが

その中でも

ヨブは 一歩 そして また一歩と

神様に迫っていっているのです


 ヨブが神と論争することを心か願っていることの根底に、神への信頼があることに気付くことは大切である。よく、神を信頼するなら、ただ神のなされるままにし、何も言わないですますべきだと考えられている。そういうこともあるだろう。しかし、それが実際には、あきらめの口実となり、神との深い交わりの機会をも失ってしまうこともある。神を信頼することと、神に向かって語りかけたり問いかけたりすることとは、必ずしも矛盾するものではない。そのことと、不信仰から来るつぶやきや不平とは、はっきりと区別されなくてはならない。
 ヨブは先に、神があまりにも高い方であるから、自分が直接天の法廷において、神と論争することはできない、との思いを表明した(九32)。そこから仲裁者を求める思いが生まれたが(33)、その仲裁者がいないとして、再び神に嘆き訴えることを始めた。そのヨブが、ここでまた、神に訴え、神との法的な闘争をすることへの思いに駆り立てられている。そこには、友人たちのことばと知恵への失望があることが、この一三1以下の流れから推察される。

『ヨブ記』p.138より


このようにして

ヨブの足取りを辿りながら

読書の神観も拡張されていくのですが

同時に人間観についても

考えさせられます


エリファズ、ビルダデ、ツォファルの言葉の解説を読んでいると

私たちが 陥りやすい考え違いを 知ることができます


それは

単なるヨブ記の学びを超えて

人に寄り添う際の姿勢も

正されるものです


私たちに現された神のみこころ』に示されているような

著者の鋭い洞察力が生かされています







詩文の文法や

談話構造の分析などに関しては

別の書物が必要でしょうが

ヨブ記で 取り上げられている問題を

大まかに捉えるには

良いとっかかりになるのではないかと思います

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