『聖書翻訳を語る』は
以前に出版された『聖書翻訳を考える』『聖書翻訳を考える[続]』と共に
御言葉の奉仕をする方々に お勧め
いや ぜひとも読んでいただきた本ですね
何を 変えたか だけでなく
何故 変えたかの理由と
どのように そこに至ったかの経緯を
知ることができます
釈義、解釈のための優れた実例を得られるでしょう
また
教会の神学と「専門知」の関係性について考えるのにも
良い材料になることでしょう
この本で紹介されている「遂行的発言」「話者志向的発言」「談話文法と動詞のテンス」
などの文法用語は
説明を受ければ理解ができます
そして
かなり納得がいきます
しかし
それを検証できるかと言いますと...
なかなか厳しいものがあります
このような高度な研究成果を
教会として どのように受け止めていくのか
そして
また新たな学説が提案された時に
どう受容していくのかは...
なかなか難しい課題です
本の中でも
以下のような事例が紹介されていますが
時代と共に 明らかになるものもあるんでしょうね
(詩篇42篇5節の)三行目は、第3版では「私の前で」となっているが、実は第1版では「御前で」と訳されていた。「なぜ御前で思い乱れているのか」と、主の御前という三人称の意味にとっていた。そこには、1960年代の一つの学説が反映されている。通常は一人称の接尾辞アイは「私の」を意味するのであるが、ウガリト語やフェニキア語では三人称「彼の」でもあり得るという考えに影響されて「御前で」と訳されたのである。しかし、現代では、その学説に対して批判的な学者が多く、「彼の前」よりも「私の前」と訳すほうがよいと思われる。
p.112より
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