アッシリアは、紀元前二千年紀後半にはじめて大国の仲間入りを果たした「新興国」だった。そのためアッシリアの主神アッシュルは、シュメール時代の古いパンテオンにルーツをもたず、都市アッシュルを神格化した存在だと考えられている。アッシリアの勢力が拡大されるにつれ、神々の世界におけるアッシュル神の地位も向上させる必要が生じ、その過程でより古い英雄神の神格を統合していった。それを具体的に可視化させたものが宗教儀式であった。
アッシリアの王の儀礼やライオン狩りには、英雄神ニヌルタを連想させる祭儀的な側面がある。ニヌルタ神は新アッシリア時代のはじめ、アッシュル・ナツィルパル二世が造営した新都ニムルドの主神として重要な役割を果たした。怪物退治を達成して神々の王の座に就くニヌルタ神の物語は、王みずからが出演する祭儀劇において巧みに再現された。
また前七世紀にセナケリブがバビロンを破壊したのちは、バビロンの主神マルドゥクの神格が、あからさまにアッシュル神に取り込まれていった。バビロンの新年祭(アキートゥ祭)では、マルドゥク神が海の怪物ティアマトを倒して神々の王となる神話のエピソードが祭儀的に再現され、神話『エヌマ・エリシュ』が朗読された。この儀礼体系もアッシリアに取り込まれ、マルドゥク神に代わってアッシュル神が西木の主役を担った。
宗教上の変革はこれにとどまらず、センナケリブはみずからもバビロニア式の崇敬のポーズをとって表現されるようになる。それ以前のアッシリア王は右手を挙げて人差し指を立てるジェスチャーで神に敬意を表していたが、センナケリブは右手に逆三角形の祭具をもって鼻にちかづけるバビロニア式のポーズであらわされている。政治的にはバビロンを統合したアッシリアであったが、古都バビロンの文化的優位性は、宗教上の融合という形でアッシリアに影響を与えた。
『図説 メソポタミア文明』p.116より
何処かで
内田樹が少女漫画を読むには
それなりのリテラシーが必要だと述べていましたが(笑)
それとは 全く 違う次元で
考古学資料を「読む」にも 特殊な技能が求められるそうです
私たちにとっては
単なる彫り物 芸術作品にしか思えないものも
図像学の学者の手にかかれば
時代を読む解くテキストとなります
『図説 メソポタミア文明』は
200ページにも満たない入門書ですが
時に 詳細な図像解説がなされています
その分析は
「しつこい」と感じるほどのものです(笑)
文献学が主だった手段である聖書学とは
随分 勝手が違いますね
ところで
聖書において
ファラオやネブカデネザルに次いで
存在感のある異教の王ではないでしょうか?
彼の使者ラブ・シャケは
王の力と 神々の無力さを 次のように訴えました
「大王、アッシリアの王のことばを聞け。王はこう言っておられる。『ヒゼキヤにごまかされるな。あれは、おまえたちを私の手から救い出すことができないからだ。ヒゼキヤは、「主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない」と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。』ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王はこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地、オリーブの木と蜜の地である。おまえたちが生き延びて死ぬことのないようにするためである。たとえヒゼキヤが、「主はわれわれを救い出してくださる」と言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに聞き従ってはならない。国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリアを私の手から救い出したか。国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出したか。主がエルサレムを私の手から救い出せるとでもいうのか。』」
列王記第二18:28-35
そんなセンナケリブも
バビロンの宗教 マルドゥク信仰を無視できなかったとは...
やはり
人を支配する側にいるように見える為政者たちも
何かに 支配されているんですね
Comentarios