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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

森本あんり著『アメリカ・キリスト教史』を読む1

更新日:2020年7月17日

 ピューリタンの理解によれば、正規の陪餐会員でない者は自分の子どもに洗礼を授けてもらうことができず、未受洗の子どもは成人しても十全な意味での社会構成員と認められないことになるからである。そこで、一六六二年に「半途契約」(Half-Way Covenant)が制定され、教会と社会における彼らの成員資格が確保されることになった。
 ただし、この制度においても、聖餐に与ることはなお回心体験を経た者に限定されていた。これをさらに一歩進めたのが、後に「コネチカット河域の教皇」と呼ばれるようになるノーサンプトン教会の牧師ストダード(Solomon Stoddard, 1643-1729)である。彼らはマザーらの反対を押し切って、聖餐を「回心に至らせる手段」(a converting ordinance)と位置づけ、回心前の会員にも陪餐を許す「オープン・コミュニオン」(open communion)を始めた。同教会はそのおかげで数の上では大きく進展し、何度か大量回心者の波を経験することになる。...
...「大覚醒」と呼ばれる信仰復興は、このような背景のもとで起きた。その最大の指導者は、エドワーズ(Jonathan Edward, 1703-1758)とホィットフィールド(George Whitefield, 1714-1770)である。一方のエドワーズは、コネチカットで父の教会の牧師館に生まれ、創立間もないイェール大学に学び、祖父ストダードの牧する教会に赴任して後継者となった。...
....二度にわたる信仰復興を導いたエドワーズであるが、やがて前任者の方針に反して教会の陪餐資格を厳格化しようとしたため、町の有力教会員との軋轢を深め、五〇年には教会を解任された。その後彼は、辺境の奥地ストックブリッジで先住民の教育と宣教に従事しつつ、著述に時間を費やすことになった。



ある時代に

ある教会の 人数を 飛躍的に伸ばした慣例は

時間の経過とともに

ただの慣例ではなく

群の土台、核と見なされるようになります


たとえ それが 危うさをはらんでいたとしても

その慣例によって 引き寄せられてきた人々にとっては

命綱のようなものですから

易々と 手放すことは出来ません


後代の指導者が

より健全でバランスを取れた教会を建て上げるために

その部分にメスを入れようとしますと

多くの場合 ハレーションを引き起こします




アメリカのリバイバル「大覚醒」を導いたエドワーズも

先代の「遺産」に悩まされた牧会者の一人でした


 幼児洗礼を受けただけでは

 聖餐 パン裂きには与れないようにする

という方針を打ち出し 進めようとしただけで

彼は 教会を追い出されたのです


前任者ストダードは

頭脳明晰なだけではなく

政治的手腕もあわせ持つ教皇のような人物だったそうですが

彼が 聖餐を「回心に至らせる手段」とし

「オープン・コミュニオン」を導入したことによって

ノーサンプトン教会とストダードは

その地域に名を知らしめるほどの「成功」をおさめました


エドワーズは 信仰の良心に従って

ストダードのその手法に

修正を加えようとしたのですが

あえなく惨敗しました...




人々を 招き入れようとして

教会の門戸を広げたことが

孫が教会から締め出されるきっかけを作ってしまうとは

ストダードは 夢にも思わなかったでしょう


エドワーズが解任された時

すでに 召されていたとはいえ

悲しいこと 嘆かわしいことです...




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