二ヶ月半の休校期間に
「学ぶこと」「教える」ことについて
考えてきたことを
(以前に 投稿したこととも重複しますが…)
ここに書き留めておきたいと思います
この分野は専門外なので
(「じゃあ 何が 専門やねん!」とは突っ込まないでください…笑)
あくまで素人としての感想です
ですから
皆さんからレスポンスをいただいて
さらに深めていければと願っています
さて
本題ですが…
2月の末に
臨時休校が決まってから
子供たちと作った時間割に則って
朝に 勉強の時間を設けてきました
プリントをしたり
動画を見たり
ICT教材やアプリを使ったり
と…
無料で出来る範囲で
工夫をしてきました
その中で
わかってきたのは
(ようやく言語化出来るようになってきたのは)
教育には三つのレベルがあるということです
一つ目は 習慣を身につけること
二つ目は 知識を得ること
三つ目は 考察すること です
まぁ 言ってみれば あたりまえのことですが
こうやって 区別をする時に
つくづく思わされるのは
二つ目の知識を得ることのハードルが
今は グッと低くなっているということです
私たちが 子供の頃には
教科書を開いたり
問題集を買ってきたり
図鑑を持ってきたりしなければ
得られなかった情報に
今では すぐにアクセス出来ます
ネットを見れば
問題集だけでなく
映像資料から
授業動画まで
多様な情報と手段に
触れられます
子供たちの状況をしっかり観察し
躓いている事柄を ある程度把握していれば
何処に重点的に力を注ぐべきかが見えてきますし
それに対応する教材も
割と簡単に見つけられます
しかし
一番目と三番目
習慣と考える力をつけさせること は
そう簡単にはいきません
特に 学校のように
千差万別 多様な子供達がいる環境では
最低限の習慣をつけさせるだけで
多くの時間が費やされるでしょうから
それ以上は 手が回らないのは
当然のことです
ですから
この二つの領域は
家庭がカバーするしかありません
読書や学習習慣が身につくようなアイデアを考え
普段の対話を通して 思考力を培う
そんな地道な 努力が求められるでしょう
もちろん
このことは 目新しいことではなく
昔から 言われ続けてきたことですが
その比重が いよいよ 増していくのではないかと
感じています
つまり
保護者の意識の差が
子供達の将来に 大きく 影響することでしょう
そして
このことは
信仰継承、教会教育、神学教育にも言えることだと思います
例えば
神学校の授業も
1年目の基礎的なものなら
海外のサイトで だいたい受けられますし
日本語でも いくらか 学ぶことが出来ます↓
そして
今後 こういうソースは
増えていくことでしょう
そうすると
神学校の教室の役割も
これまでとは違ってくるはずです
そして
それと 同様のことが
教会内でも起こってくるでしょう
その時に 求められるのは
聖書通読などによって培われる基礎知識
他者と意見を交わす対話力
そして
自分の実生活に学んだことを落とし込む適用力です
そこを 養っていくことが
これからのリーダーの役割になっていくでしょうし
その模範を示していく必要もあります
きっと
奉仕のあり方も変わっていくでしょうね
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