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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

「ブラザレンについての諸断章」を読む4

更新日:2019年7月15日

 また、市民社会の一部に知識を求める動きがあり、知識がある程度蓄積していったからこそ、自ら福音を語ることができた、といえます。聖書を読みこなすこと、それは、文字が読みこなせればよいというものではありません。聖書とそれを取り巻くさまざまなものを読みこなす知識があったからこそ、ブラザレン運動は成立したといえるでしょう。
 この運動の最初の段階の人々はほとんど、ある程度の社会的地位、あるいは金銭的余裕のあった人たちでした。また、国教会の司祭職の人々が大量に流れ込んできていることもあり、これらの人にとっては、聖書をより深く学び、語るためのツールはそれまでの人生の中で、蓄積されてきたものです。
 その意味で、普通の庶民の運動というわけでなかったことについては、記憶にとどめるべきかもしれません。



日本でプロテスタント宣教が始まった明治期

初期の回心者の多くは武家出身の若者だったと言われています


彼らは

社会的地位や経済力に恵まれたわけではありませんでしたが

読み書きのできる知的エリートでした


そこから

キリスト教を

十分に大衆化できなかったことが

宣教の進展と深化を妨げたと評価する神学者もおられます




一方

戦後間もなく始まった 日本のブレザレンの伝道活動は

主に 一般庶民に向けられたものでした


特に 大阪では その色合いが濃く

第一世代の大半の方は

高校卒業後すぐに就職されています




知的階層から指導者が起こされるメリットは

バランスの取れた運営がなされやすいということです

(あくまで相対的にですが!)


聖書を読みこなすにあたっても

状況を判断する際も

高等教育は

多角的 複合的に分析することに

(限界はあるものの)ある程度 役に立ちます


反面

主知主義に陥りやすい傾向があります




大衆運動の良さは

爆発力、機動力があることです


また、庶民の心情が肌感覚でわかりますので

心にうったえかける言葉を語ることができます


反面

自己批判能力、歴史感覚を得るのが難しいというデメリットもあります

(こちらも相対的に ですが...)




それぞれに好みはあるでしょうが

どちらが 優れているかと比べることは

ナンセンスです


ただ

その長所 短所を わきまえておくことは

不可欠です




また

ルーツと宣教地を

冷静に比較することも

求められるでしょう


ブレザレンの場合

そのコントラストは

非常にあざやかです


当たり前のように大学で神学諸科が学べる英国と

ミッション・スクールでもキリスト教学の学べる大学の少ない日本

その社会的条件の差は 侮れないものがあります


加えて

中心的な社会層にも 大きな違いがありました


その相違点を意識した上で

同じ精神を保持し、活動していくためには

何をなすべきなのでしょうか?


第一世代が まだ 地上におられる間に

知恵を出し合い

意見をぶつけ合い

将来に備える必要があるように思います


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