『ジョージ・ミュラーの思想形成における-フランケの敬虔主義の影響について』を読む3
- おいまつ÷のぞむ
- 2019年8月30日
- 読了時間: 3分
事業報告書の記録によると,ミュラー自身は 1833 年の 2 月 9 日に「フランケの伝記」 (a part of Franke’s life)を読んだと述べている。つまり,これは彼が回心を経験して,ハレでフランケを知ってから数年後のことである。恐らくそこで読んだ「伝記」という のは先述したフランケの書いた自叙伝的「履歴書」のことであろう。当然ながらドイツ語はミュラーの母国語であったのでフランケの「履歴書」を原文でじっくり読んだのであろう。以下,重要な箇所であるので,注では英語原文とともに引用しておく。
「1833年2月9日:私はフランケの伝記を読んだ。主は,彼がキリストに従ったごとくに 恵みをもって導かれて,私もフランケに従うように助けてくださった。私たちがブリストル において知っている主の民(クリスチャン)の多くは,貧しい人々である。もしも主が私たちに,かの親愛なる神の人(フランケのこと)が成したように恵を賜ることがあるのならば,天来の助けにより,今以上に更にその取り組みに注視したい。」(Müller, Narrative & Autobiography, The Müller, George Collection, No.1096)(5)
実際に,その 3 年後に,この日誌に示されたように,ミュラーはフランケの足跡を辿 りつつ,ブリストルの地で,孤児院創設を実現していくことになる。つまり,敬虔主義との出会い,そして回心に続き実際的な実践行動の証しとしての孤児院事業構想がごく自然の流れのようにミュラーのなかに沸き起こってきたのはこのフランケの伝記,生き 様,その信仰に触発されたと考えるのは当然なことである。なぜなら彼をハレの同郷で あり,先輩であり,尊敬するキリスト者の模範,孤児院事業の先駆者と考えたからである。
先日、大阪市から
「国民健康保険料変更決定通知書」が
送られてきました
開いてみると...
決定額が 数ヶ月前に伝えられていた額の
4倍になっていました
昨年度までの収入を勘案して
変更になったようでしたが
正直なところ
かなり動揺しました
慌てて 役所に減免の手続きをしに行きましたが
申請はできるけれども
もし
就労している場合は
反映されるのは 確定申告が終わってからだ
とのこと...
とにかく
年度内は
通知どおり支払わなくてはいけない
という返答を受けました
「いったい どうやって やりくりすればいいのか...」
と 頭を抱えながら 帰路につきましたが
そんな時に
ふと 思いました
「スケールの小さい悩みだな」と...
いや
たしかに
個人的には
深刻で 大きな課題なんですが
でも
あくまで「個人的」な課題です
一方の(どう「一方」なのかは謎ですが笑)
ジョージ・ミュラーは
のべ10000人の孤児を養い、育て
それに携わる働き手の生活費まで
工面したわけです
途方もなさすぎて
全くイメージがつきません...
ミュラーは
フランケに触発されて
「もしも主が私たちに、かの親愛なる神の人が成したように恵を賜ることがあるのならば、天来の助けにより、今以上に更にその取り組みに注視したい。」
と祈ったそうですが
今の自分は
この祈りに 心を合わせることさえ
ためらってしまいます
憧れること と 倣うことは
全く別物だ
と 改めて教えられました
神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。
ヘブル人への手紙13:7-8
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