ドイツのハレで敬虔主義の実践として孤児の家(フランケ学園)を設立するなど活躍したフランケが1727 年に世を去って 100 年が経つと,フランケらが主導した敬虔主義運動はその中心地であったハレにおいてもすでに下火となり,再び世俗化の波がその地を覆っていた。
1825 年に奇しくもそのハレの地に,かつて敬虔主義の中心となったハレ大学神学生として入学してきた一人の青年がジョージ・ミュラーであった。先述した通り,ミュラーも入学動機は名誉と職業的安定としての国教会牧師職を求めて,あくまで親のすすめでその道を歩んだのであるが,これもフランケの職業観のパターンとまったく同じであった。その彼が,わずかに残った灯のような敬虔主義の小さなグループ「聖書の集会」 に一人の友人に誘われて参加したことを契機に,彼は回心を経験するに至ったことは先述した通りである。つまり,そこで神の前に跪き素朴に祈っている真の信仰者の姿に触れたことが人生の転機となったのである(Müller, Narrative & Autobiography)。 ...
世俗化の波が覆った地
下火になった敬虔主義運動
そして
名誉と職業的安定としての国教会牧師職を求めた青年...
この組み合わせから
何らかの 新しいもの 豊かなものが 生み出される と
誰が予測したでしょうか?
きっと
ミュラー本人も
自身の変化に驚いたことでしょう
ただ
青年の成長の過程は
たしかに このようなものだと
実感を持って言えます
私が フルタイムの主事になる前に
神学校にゲストとして来られた元主事に
「『後生畏るべし』ということわざを
心に留めておくように」
という助言をいただいたことがありましたが
主事生活中
何度 その言葉を思い返したことか...
私たちの神様は
恵まれた環境で
盛り上がりを見せる運動の中で
バランスの取れた人物を成熟させる
という方法でしか
御業をなさらない方ではありません
私自身は
敬虔さが滲み出るタイプではありませんが(笑)
願わくは
誰かの転機に立ち会う者と
なることができますように...
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