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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

『信仰の友への手紙』

「霊性の神学」とは何か』を読んだ流れで

ユージン・H・ピーターソン著『信仰の友への手紙』を

手に取りました


4-5年前に開いた時は

なんとなくピンとこなくて

途中でやめてしまいましたが

今回は

しっくりくるというか

胸に刺さるというか

共感しつつ読み進めることができました


特に 以下の引用は

タイミング的にも

ぐさっときましたね


牧会者の神学』に記された船上の医者の例話を

思い出しました


神学校の夏期実習生ハーマンが君のグループに新たに加わって聖書研究の方法を「教える」ということだね。その決心に、君たちがどんなに狼狽し、それを活動の邪魔と感じるかは想像に難くない。彼は、聖書を部分部分に細分化する彼流の「歴史的・批評的な」手段に夢中になっている。そして、細分化したものを分類し、動詞やそのほか細々とした断片の山にして積み上げていくのが、君たちのお気に召すと思っているのだ。ハーマンのやり方を書いた君の手紙を読んで、トールキンの『指輪物語』に出てくるガンダルフのことばを思い出した。「……破壊して実体を知ろうとする者は、知恵の小道を遠ざかる。」こういったことのために、今の時代、多くのクリスチャンの聖書研究が荒廃の一歩手前まで来ている。君は信徒として、ぼくは牧師として、この現実に対抗して堅く立たねばならない。ただ一つ確かなもの、すなわち自分たちの言語に訳された神のみことばから離れないために、また神なき世界に寄与するために。厄介なのは彼の語る内容ではなく、彼のやり方とタイミングだ。神学校で教えられる聖書研究の方法はどれも役に立つものばかりだし、説教壇や聖書台に立つ立場に置かれば、それこそ、これ以上ないほど貴重だ。しかし、それらの方法は外科用の精密機器のようなもので、実践するには細心の注意と知恵が要求される。どうもハーマンは、大ハンマーかカナテコでも扱うようにそれらを使っているようだ。

『信仰の友への手紙』p.125-6より






















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