top of page
執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

出村和彦著『アウグスティヌス』(岩波新書1682)




























恥ずかしながら...

アウグスティヌスに関する単著としては

これが 初めて読む本でした


キリスト教史の教科書や『父の肖像』などで

彼に関する項目は

読んできましたし

様々な神学書で

彼の主張には 触れてきました


けれども

彼の生涯を なぞるのは

今回が初めてでした


一般の書店から出ていますので

信仰に関わる内容は

割愛されたり 調整されたりしているのかなぁ

と思っていましたが

結構 遠慮なしに 彼の思想信条が 描かれています




改めて

アウグスティヌスの歩みを辿りますと

というあだ名をつけたくなりますね


洗礼を受けたのは33歳


信仰者としてのスタートは決して早くありません


しかし

彼の残りの人生は

放浪の旅に思えたそれまでの歩みが

豊かに生かされるものでした


多くのクリスチャンホームの子供達が

教会を離れていくのを目撃している私たちにとっては

大きな励まし 慰めではないでしょうか?




ただ 残念なことに

彼の晩年までの牧会と執筆活動は

時代の針を押し戻すことは出来ませんでした


彼の仕えたヒッポの教会は

ヴァンダル族の襲撃を受けて

失われてしまいました


けれども

彼の教えを受けた「子どもたち」は

今も 生き続けています




社会全体が

衰亡の兆候を顕在化させていく時代だからこそ

読んでおきたい伝記ですね




 五世紀、帝国の岩盤は大きな地殻変動を起こし始め、アルプス山脈を越えた西方から地滑り的な崩壊を兆していた。いわゆる蛮族の移動という事態が進行していたのである。これを平和的な移住ないし帝国への定住的浸透と捉えるか、略奪的な進出ないし帝国への破壊的侵攻とみるかは議論があるところである。実際、ゴート族もすでにキリスト教徒となっており、またゴート族出身で帝国の役人になる者もいたことは、「蛮族」というイメージでは捉えきれない実態を示している。
 しかし、略奪と破壊、ひいては帝国崩壊のイメージを決定的にしたのは、この四一〇年の出来事がもつ心理的インパクトであった。ヒエロニムスは「もしローマが滅びるとしたら、いったい安泰のものなどあるだろうか」とベツレヘムで悲痛な声を上げている。
 ローマ却掠は、アウグスティヌスに『神の国』を書かせた。しかし、アウグスティヌスは当時ヒッポにいて、ローマの惨状を直接目にしたわけではない。とはいえ、帝国の理念を斟酌せずにアリウス派のキリスト教を奉じ、自分たちの王国を形成していくことになる部族集団が現れたことは、紛うことなき時代の変化による現実であった。アウグスティヌスにとって民族や地域の相違を超えて共通のローマ的な市民生活は所与のものであり、諸都市がローマと街道のネットワークで結ばれ、ニカイア・コンスタンティノープル信条を共有することで統一を図る帝国の存立は、疑う余地のない当前のものであった。このような時代の変化は、不可解で異質なものの出現として感じられていたことだろう。

アウグスティヌス』p.122-123より



閲覧数:9回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「再臨運動」は起こらずとも...?

母校の聖書宣教会から届いた通信 その中の「学びの窓」に記されていた「再臨運動」に関する文書が 心に留まりました 内村鑑三、中田重治、木村清松によって始められた「再臨運動」 それから100年の月日が過ぎたようです その「再臨運動」を振り返って 若井先生は...

Comments


bottom of page