top of page
執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

F. F. Bruce"Who are the Brethren?“を読む2

更新日:2020年2月22日

ブレザレンの歴史、ブレザレンの起源について考える時に

意外と見過ごされがちなのは

草創期のメンバーが 非常にアカデミックな人たちだったということです


前回の引用にもありましたが

ブレザレンの創設者たちは

主にトリニティカレッジに関わる若者のグループでした


18歳の半数以上が

大学進学を目指している現代の日本とは異なり

当時の英国においては

大学生は 一人にぎりのエリートだったことでしょう


そんな知的エリートによって始められたのが

ブレザレンだったのです


しかも

その中でも

聖書言語の分野で才覚を表した人物が

ブレザレンの初期メンバーにはいました




ブルースは次のように述べています

From Dublin the movement spread to England. In England the first Brethren assembly was established at Plymouth in 1831; hence arose the popular term 'Plymouth Brethren'. Two leaders of the Brethren's meeting at Plymouth, Samuel Prideaux Tregelles (1813-1875) and, in a lesser degree, his relative, Benjamin Wills Newton (1807-1899), were responsible for one of the best critical editions of the Greek New Testament to appear in England in the nineteenth century.

以下に私訳を載せておきます

ダブリンから、運動は英国に広がりました。 英国での最初のブレザレンの集会は、1831年にプリマスで設立されました。 そこから、「プリマス ブレザレン」という現在親しまれている名称が生まれました。 プリマスでのブレザレンの集まりのリーダーであったサミュエル・プリドー・トレゲルス(1813-1875)と、彼の補佐的な立場であった親戚のベンジャミン・ウィルズ・ニュートン(1807-1899)は、19世紀の英国において最も優れたギリシャ語新約聖書の校訂版の担当者でした。

ここに記されているトレゲルスについては

ウィリストン・ウォーカーの『キリスト教史』においても

短く

「サミュエル・プリドー・トレゲルスは、新約聖書のギリシャ語文献の優れた学者であった」

と記されています




しかし

集会の中で

トレゲルスやニュートンについて

語られることは

ほとんどないのではないでしょうか?


個人訳の聖書を出していたことは

まだ 知られていますが

そのような翻訳作業の土台となる校訂版を作ったトレゲルスについては

このような文章以外で 見聞きしたことはありません


このことは

諸集会において

原語の学びが軽視されてきた現実を

表しているようにも思います...


まぁ

その課題は 置いておくとしても...


ブレザレンを始めたメンバーの中に

このような兄弟(ブラザー)がいたことは

彼らの 思い描いていたブレザレン運動は

原語に親しんでいる人材がいることを前提にしたものだった

と 考えることが出来るのではないでしょうか?




事実

英国のブレザレンは

聖書言語に精通するクリスチャンを

輩出してきました


この論文を記したブルースもその一人ですが

聖書世界の近隣諸語を研究した人物もいます




そう考えると

日本のブレザレンは

随分 違った方向に進んできたようですね...











【関連記事】

閲覧数:22回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「再臨運動」は起こらずとも...?

母校の聖書宣教会から届いた通信 その中の「学びの窓」に記されていた「再臨運動」に関する文書が 心に留まりました 内村鑑三、中田重治、木村清松によって始められた「再臨運動」 それから100年の月日が過ぎたようです その「再臨運動」を振り返って 若井先生は...

تعليقات


bottom of page