時間をおいて再読すると
感動が増す本があります
私にとって
『わが故郷、天にあらず』は
その部類に入る本でした
充実した内容、巧みな文章 構成に
感服させられます
それに加えて
「再会」の喜びもあります
「こんなところに 登場していたのか!」と
嬉しくなってしまいます
先人の思索を消化して
上手に活用していくところに
マーシャルの持ち味があるので
なおさら そう思うんでしょうね
そんなマーシャルが
謝辞で
「アル・ウォルターズがこのテーマで書いたものは、いつも私を励まし導いてくれた」
と 触れているのは
『キリスト者の世界観』のことでしょう
こちらも 紛れもなく名著であり
未だに 歴史的意味を持つ書物だと思います
しかし
改めて 読んでみると
抽象的、概念的すぎると
感じてしまいました
枠組みを捉えるためには
すっきりしていて良いのですが
生き方を思い描くのが難しいのです
おそらく
ストーリー、ナラティブとの結びつきが
ほとんど語られていないからでしょうね
ただ
そういった点に 物足りなさを覚えるのは
ウォルターズの問題というよりも
読者である私が 変化したからでしょう
ウォルターズの成果を
前に推し進めていき
新しい洞察を融合していった後輩たち
そのような知恵を
日本語で触れられるようにしてきてくださった方々
彼らの恩恵を受けて
私の受け止め方も変ってきました
このことは
考えてみると
とても ありがたいことです
私自身は
次の世代のために
どんな貢献ができるのでしょうか?
建築材料の一つとして
用いていただきたいものです
ハイテク社会に住む私たちは、超高層ビル、数十キロに及ぶ橋、巨大なダムを建築できる。しかし、もはやできなくなったことがある。たとえば大聖堂の建設だ。石工や熟練した彫刻師を見つけるのが難しくなったのは事実だが、実際は、技術の問題ではない。それは、他の大切な事柄にも言えるのだが、精神の問題、霊的な姿勢の問題である。
ヨーロッパのゴシック大聖堂を建てた偉大な建築家や職人たちの名を、私たちは知らない。彼らは自分が建てたものに自分の名前を刻まなかったし、有名になろうとして別の記録を残すこともしなかった。聖堂こそが、彼らの残したかったものなのだ。
大聖堂を建てるには何世代もかかった。建築に着手した者たちは、聖堂の完成を自分の目では見られないことを承知していた。決して完成を見ることのないプロジェクトのために自らのエネルギーを、労働を、技術を、自分自身を費やしていったのだ。彼らが死んだ時には、未完成の石壁がここそこに見られるだけだったろう。
そのような聖堂を建てた職人は、技術面で優れていただけではない。完成を見ない何かのために、無名のまま働くという霊的な姿勢を持っていた。今日では前代未聞の自己否定、自己犠牲だった。私たちの社会にとっての最大の障害物は、技術の進歩が遅れていることではなく、私たちのエゴなのだ。最高のテクノロジーをもってしても、この問題は解決できない。
『わが故郷、天にあらず』pp.192-3より
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