五五年体制のもう一つの特徴は、全体としての権力の分散と共有の構造である。これには、前述のボトムアップの仕組みに加えていくつかの側面がある。最も重要なものは、自民党議員と官僚(機構)との間の共棲関係である。自民党の政調会内部でのボトムアップ型の政策プロセスは、官僚たちが全面的に参加し協力する体制を採っていた。政官の融合体制と言ってもよいレベルで、省庁の各部局と族議員グループとが協力関係を構築し、さらに外側には関連の業界団体が連なる形となっていた。省庁の縦割りと族議員集団、そして業界団体にわたる縦割りの権力分割であったが、それが全体として自民党政権の枠組みの中で共存していたと見えてよい。
他方、周知のように、自民党は派閥連合政党であり、これが党権力ひいては政権全体の権力の分散構造の骨格となっていた。派閥システムは、結党当初からの成り行きという面もあるが、その後いかに構造化されたのかを考える上では、中選挙区制という選挙の仕組みがもたらした影響は決定的である。中選挙区制とは、一つの選挙区から三〜五人の議員を選出する仕組みである。この選挙制度の下では、自民党が衆議院の過半数を制して政権を維持するためには、同一選挙区に複数の候補を擁立することが大前提となる。つまりは同士討ち選挙であり、派閥システムはそれと連動して制度化され継続してきたのである。それぞれの候補者・議員が、自民党という政党を前面に出すのではなく、個別の利益誘導を競ったのは、まさにそれこそが生き残り戦略としての基本だったからである。そしてこうした「一国一城の主」然とした議員たちが、派閥という権力集団に束ねられていた。自民党の全体としての権力構造は分散し、派閥間の競合が大きな意味を持っていたのである。
民主主義は
人間の善意を前提に
作られたシステムではありません
むしろ
人は
自分と その周囲数km圏内のことしか
考えられない
だからこそ
各地から代弁者を立てるのです
無数の立場の代表者たちが
競合し合い 牽制し合うことによって
バランスが保たれます
しかし
声の大きさだけで
物事が決められていけば
長期的、継続的な取り組みは出来ません
そこで
ある分野について
長年考え続けている族議員や官僚が
現実的な方策を提言する
そのようにして
調整が はかられてきました
けれども
あるシステムが 動き始めると
その構造を熟知する人が
現れてきます
そして
彼らは
個人の利益のために
そのシステムを回し始めるのです
国全体として
「儲け」が出ている間は
それも「経費」と見なすことが
出来たかもしれませんが
経営が傾き始めて
パイ取り合戦が過熱し始めると
多くの人たちが その不均衡なシステムに
不満を抱くようになりました
「平成」は
そのような国全体のルールの変更、システムの再構築を
模索した時期 だったのでしょう
馴れ合いの温床となる派閥が再編され
癒着に繋がる官僚と政治家の「共棲関係」が見直されました
その目標は
評価されるべきものだったのでしょうが
皮肉なことに
それまでの均衡が失われ
かえって
権力が中心に 集中するという皮肉な事態に
陥っています
結果として
ボトムアップよりも
トップダウンの
力が強くなってしまいました…
ですから
政治に関わる大多数は 上ばかりを見つめ
それ以外の人たちは
うつむき、政治に関心を示そうとしません…
私自身は 能天気な者で
風通しを良くし
流動性を高めれば
システムは良い方向に向かっていく
と 無邪気に信じている面があります
けれども
それは 幻想…
ただ自由を過大評価しているだけなのかもしれません
【関連書籍】
吉見俊哉著『大学とは何か』
橋爪大三郎/大澤真幸 他著『社会学講義』
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