復活されたイエス様が
ご自分が生きていることを示し
四十間にわたって
神の王国のことを 語られた後のことです
使徒たちが
イエス様に
「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
と尋ねたことがありました(使1:6参照)
現代の日本に住むクリスチャンからすれば
あまりにも 唐突で 的外れな問いに 思えるかもしれません
しかし
彼らにはとっては このことは 切実で 現実的な課題でした
というのも
「イスラエルの再興」は
ユダヤ人が 長年心待ちにしていた 御言葉に基づく希望
だったからです
ザカリヤが語った「私たちの敵の手からの救い」(ルカ1:74参照)にも
シメオンが待ち望んでいた「イスラエルにもたらされる慰め」(ルカ2:25参照)にも
何らかの意味で
ユダヤに 自由と平和がもたらされることが
含意されていたはずです
「イスラエルの再興」は
決して 使徒たちの個人的な願望ではありませんでした
しかも
イエス様が
力ある神の右の座に着こうとしていたこの時に(ルカ22:69, 使2:33, 5:31, 7:55参照)
イエス様が いと高き方の力に覆われた神の子、王として
いよいよ変革をもたらしてくださると
期待することは ごくごく自然でした
十字架にかかられる前でさえ
イエス様は弟子たちに
このように語っておられました
イエスは彼らに言われた。
「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
ルカの福音書10:18-20
かつて 町に遣わされていた時でさえ
あらゆる力に打ち勝つ権威が 授けられていた
それならば
今こそ 「敵」に全面的に立ち向かうべき時ではないかと
使徒たちは
胸を高鳴らせたのではないでしょうか?
しかし
イエス様は
このように答えられました
「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1:7-8
イエス様はここで、弟子たちが力を受けることを約束されました
人の子が、聖霊によって力を帯び、活動されたように(ルカ1:17, 1:35, 4:14参照)
弟子達も聖霊に強められて 用いられていくと...
しかし
「イスラエルの再興」については
「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません」
と 釘をさすように語られました
これは
「イスラエルの再興」など起こらない
という意味ではありません
それが実現するタイミングについては
知る必要はないと 教えられたのです
その言葉を受けてから
使徒たちは
自らの手で
無理やり
「再興」をもたらそうとはしませんでした
受けた力を
目に見える敵を打ち倒すために
用いることはしなかったのです
やがて
使徒たちの中には
為政者によって捕らえられる者も出てきましたが(使4:3, 5:18参照)
彼らは 非暴力不服従を貫きました
後に
使徒の一人 ペテロは、自らの手紙で
このように述べています
人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。
ペテロの手紙第一2:13-17
ところで
「キリスト教シオニスト」の姿が
このように描かれています
キリスト教シオニストは、聖なる土地パレスティナでユダヤ人がアラブ人やイスラーム教徒と戦い、そしてやがてその約束の地にはキリスト教徒が行くことで、真の救いがエルサレムに訪れるのだと考えている。つまりキリスト教シオニズムは、ユダヤ人を利用してキリスト教徒の真の救いを目指す自己中心的な思想だと解釈もできるのだが、今やユダヤ国家イスラエルの支持者としてアメリカの市民権を得ているのである。...
...CUFI(イスラエルのために団結するクリスチャン)総会では、このビル・クリストルやCIA元長官のジェームズ・ウールジー、外交問題評議会のエリオット・エイブラムズなど、保守や右派の人物が主賓となり、CUFI創立者のジョン・ヘイギーが演説を行った。ハマスがイスラエルに対して千発のロケット弾を発射したこと、これで多くのイスラエル人の犠牲が出る可能性があること、だから我々はイスラエルへの自制を促すアメリカ政府に圧力をかける使命があると訴えた。会場は四千八百人のキリスト教シオニストとユダヤ人で埋め尽くされ、オバマ政権が意図するハマスとの休戦協定を阻止する構えでいる。それを聖書の創世記の一節「あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う」を引用して、神が外交政策について語った言葉だと述べた。...
...またワシントンで行われた同組織によるイスラエル建国を祝した会では、イスラエル国防軍を絶賛、彼らに対する批判をかわして、イスラエル軍にノーベル平和賞を授与するべきだ、「イスラエルの敵が倒され、道徳知らずの愚か者が沈黙する時がきたら、人々はイスラエルを絶賛するだろう。世界で最も脅かされていた国が一度たりとも怖気づかず価値観を守って戦い抜いた」と、ヘイギーは述べている。招かれていたイスラエルの軍人たちなどから拍手喝采を浴びていたことはいうまでもないだろう。
松本佐保『熱狂する「神の国」アメリカ』p.197-200より
著者は
キリスト教の専門家ではありませんので
多少、誤解され、誇張され、単純化されている面もあるでしょう
けれども
キリスト教シオニストたちが
このように捉えられかねない言動をしているということは
否定できないのではないでしょうか?
彼らも
「イスラエルの再興」を願っているという点では
使徒達と共通しています
けれども
キリストによって委ねられた「力」の理解と用い方が
違っている気がします
神の王国の王であるキリストが
聖霊によって与えてくださる「力」は
神の御心を実現するための「力」です
それならば
結果さえ達成すれば
プロセスは どうでも良いはずがありません
キリストは国家の趨勢に 無関心なお方ではありませんが
戦火に巻き込まれる一般市民を無視される方でもありません
そのキリストの思いに 心を留めず
手放しに軍備拡張を礼讃することは
キリスト者にふさわしいことでしょうか?
また
ジョン・ヘイギーが引いた「聖書の創世記の一節」にも
注目する必要があるでしょう
わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。...
創世記12:3
この御言葉は
シオニストが好んで引用する箇所で
日本のキリスト教界でも
耳にすることが しばしばあります
彼らは
ここを根拠に
「アブラハムの子孫」に
有利な支援、活動、政策を展開すべきだ
と 主張します
しかし
この約束は
アブラハムに対する一切の批判を
許さないものではないということを
覚えておかなければいけません
実際に
アブラハムは
彼の不誠実の態度の故に
異邦人から叱責を受ける経験をしました(創12:18, 20:9参照)
神様は
間違った方向に進むアブラハムのために
異邦人の指導者たちを用いられたのです
特に
アビメレクに対しては
神様が
非常に丁寧に関わっておられることが
見て取れます(創20:3-7参照)
神様は あくまで
地のすべての部族が
アブラハムによって祝福されることを
願っておられますので
アビメレクが
アブラハムによって
呪いを受けることを
回避されようとされたのです
加えて
国家的「イスラエル」を
短絡的に「アブラハムの子孫」と
結びつけることも
控えるべきでしょう
自らも「イスラエル人」であったパウロは
このように述べています
...イスラエルから出た者がみな、イスラエルではないからです。アブラハムの子どもたちがみな、アブラハムの子孫だということではありません。むしろ、「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」からです。すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもなのではなく、むしろ、約束の子どもが子孫と認められるのです。
ローマ人への手紙9:6-8
パウロは
イスラエルから出た者がみな
イスラエルではない
アブラハムの子どもたちがみな
アブラハムの子孫だということではない
と 述べています
そう考えると...
かつてのパウロと同じように
神と神の民のために熱心に働きながらも
神と神の民に背くことも十分にあり得るのです
例えば
「イスラエル」の中の「約束の子ども」「残りの者」が
国家的イスラエルから圧迫を受けているならば
イスラエル国の側に立つことが
アブラハムを呪うことになります
総じて
キリスト教シオニストたちは
戦略的には 長けているかもしれませんが
前提となっている世界観は
単純化されすぎているものです
正しい側と 悪い側とをすっぱり分ける二元的な思考は
自身の正しさを誇るためには
役に立つかもしれません
しかし
複雑な世界の中で
御心に従って生きていくのには
そぐわないものです
わかりやすいものの見方は
わりきれない微妙な差異を無視する
暴力的な思考となってしまうからです
ドナルド・トランプが
大統領になってから
再びパレスチナが「熱く」なっていますが
キリスト者として
キリストの憐れみを抱きつつも
冷静に見つめる目を養いたいものです
【関連書籍】
グレース・ハルセル著『核戦争を待望する人びと』
Comments