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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

ジョン・タラック著『神に用いられた生涯』















 自己吟味のために 定期的に 信仰者の伝記を読みなさい


これは 神学校を卒業する時に

校長先生が下さった助言の一つでした


当時は

その意図が汲み取れず

正直に言って あまり意欲がわかなかったのですが

今になってみると

つくづく

実際的なアドバイスだったと

思わされています


信仰歴と奉仕の期間が長くなると

経験値に頼って 物事を判断しやすくなります


それによって 効率よく対応できる面もありますが

反面 自分と他者の可能性を 狭めてしまいかねません




違う時代を生きたクリスチャンの歩みを辿ると

自分の見聞きしてきた働きや 出来事は

限られたものであったと気づかされます




例えば

私たちは

普通ならば

このような青年に↓大きな期待をかけることはしません


 十六歳の誕生日が過ぎたころ、ジョージは旅行に出かけました。どこかで大金を手に入れたのでしょうか。いいえ、彼はそんなにお金が必要だとは思っていませんでした。宿屋に数日滞在して、支払いを請求される前に逃げだそうとたくらんでいたのです。
 マグデブルグとブラウンシュバイクとを現物した後、ジョージはヴォルフェンビュッテルに着き、ある宿屋に二日間泊まることにしました。着くとすぐに、彼は逃げ出す方法を探っていきました。夜中に部屋の窓から逃げようと思いましたが、窓は地面からあまりにも高い所にありました。それで堂々と真っ昼間に逃げ出すしかありません。少し歩いてから、走り出しました。しかし怪しまれて捕まり、連れ戻されました。彼はお金がないことを白状し、あわれみを請いました。しかし、彼の受けたあわれみとは、二人の兵士に挟まれて、警察へ連行されるということでした。それから刑務所に送られました。正月祝いが終わるまで狭い部屋に閉じ込められ、ジョージはずっといらいらしていました。父親が彼を刑務所から出すために、たくさんのお金を送ってよこしたのは、一八二二年の一月半ば過ぎのことでした。
 ジョージはようやく学業に戻ることができました。相変わらず罪に満ちた生活を続けていましたが、勉強は一生懸命しました。彼が勉学に励んだのには理由がありました。聖職者になる準備をしていたのです。十分な教育を受けていなければ、高給で高い地位につくことは望めなかったからでした。もちろん、他人に説教するつもりなら、自分自身の生活態度を変えなければならないという思いが、彼の心をよぎることはありました。しかし、当時のジョージは、そのことをあまり深く考えずに、今までどおりの行き方を続けていました。

『神に用いられた生涯』p.11-12より


でも

このジョージは

他でもないジョージ・ミュラーなのです


こんな彼が

日本と教会と社会にまで

影響をもたらすと

当時の誰が 想像したでしょうか?


私たちの常識的な感覚では

神様の御業は捉えきれません


私たちの願い、期待、予想をはるかに超えて

神様は人を取り扱ってくださるのです


そのあり様は

時に 笑ってしまうほど

面白いものです




先輩の生涯に触れて

神様が如何に型破りなお方を

ますます知る者でありたい者です


【関連書籍】

A・E・C・ブルックス編『ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣

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