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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

A・E・C・ブルックス編『ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣』
























10代-20代の頃に

ジョージ・ミュラーについて聞かされていた時は

(何となく 勝手に)

大らかで 大胆な人物だと思っていました


 細かいことは気にせず とにかく突き進んでいく

そんなミュラー像を思い描いていました




しかし

彼の書き残したものに実際に触れますと

違った側面に 気付かされます




彼はとても几帳面で 現実的なのです




ミュラーは

きっと メモ魔だったのでしょう


誰と出会い、何を話し、どんな祈りをしたのか

ということだけでなく

経済事情や資金の提供額、備品の状態など

多方面に渡る事柄を 記録しています


 とにかく cloudに保存して 後で検索

...というわけにはいかない時代において

これほどの情報を整理、管理し、引き出すことは

誰にでも出来ることではありません




そして

ミュラーは 神秘主義でもなかったようです


たしかに 彼は 信仰の神秘的な面を重んじていましたが

精神世界に引きこもってもいませんでした


彼は

自分自身や隣人だけでなく

国や社会にも しっかりと目を向けていました


自分が置かれた世界には

どんな歪みがあり、どのような助けを差し伸べなければいけないかを

実際的に 考えていたのです




彼の生きた時代の英国において

路頭に迷う孤児たちの保護は

喫緊の課題でした


多くの人が 何とかしなければいけないと思いつつも

手をつけられないほど 大きな問題だったのです


ミュラーの時代の孤児はどんな生活をしていたのでしょう。産業革命は社会に傷跡を残し、家族形態は変えられていき、コレラ流行によって両親を亡くし、物乞いをする子どもが増えました。しかし物乞いで生活できないと盗みをするようになります。それは社会の重荷となり、商売には脅威となりました。当時6千人の子どもが刑務所で生活していたのです。それはキリスト教にとって大いなる課題でした。



ミュラーは この問題から

目を背けませんでした




彼は

教会が

教会の中に閉じこもることを

良しとしませんでした


教会の信者を増やすために

全ての精力を注ぎ込むのではなく

地域の必要を敏感に察知して

そこに 神様の豊かな恵みが注がれることを

祈り求めたのです


彼の開設した孤児院は

その祈りの実でした




私たちの文脈で言うならば

同様の問題として あげることができるでしょうか?


いや

もっと根深く 広範囲に影響が及ぶ問題が

きっとあることでしょう




この社会の裂け目

そこに 神様の祝福がもたらされることを期待しつつ

共に 祈りをささげられたら どれほど幸いなことでしょうか?




ミュラーも問題意識を持ってから

すぐに 行動したわけではありません


祈りの積み重ねの中で

引っ張られるように 導かれていったのです




自分の置かれている場所で 直面した痛みのために

愚直に 祈り続ける者でありたいものです


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