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スコット・マクナイト著『福音の再発見』を読む2

更新日:2019年10月4日






















...神は御子を送ることによって、イエスをメシア、つまり王に任命なさったのだ。神はイエス・キリストにあって御国(神の王国)を確立された。王国とは、王がその国を治めているということだ。繰り返して言わねばならないが、王と王国という概念は、初めの創造とつながっている。神はアダムとエバにこの世を治めさせるつもりだったのだ。しかし、彼らは失敗したので、神は御子を統治者としてこの世に送られた。そして御子は、この神の国の王として、メシアとして、また主として、重要な働きを教会(the Church)に委託なさっている。それは、真の王であるイエス・キリストを通しての贖いを、この世に証し、また神の民としてその王国を具現することである。
 そして、この物語には目的がある。それは、神がこの地上に神の国を樹立し、すべてがみこころどおりになるときに達成される、神のご計画の究極的完成である。これが成就するとき、すべてが明らかになり、神が最初になさろうとしていたことを私たちはもう一度見ることになる。神はもともとアダムとエバを神の神殿の庭であるエデンの園に置かれたが、神がすべてを完成させるとき、園は消えてなくなるのだ。黙示録21、22章では、園のかわりに都が出てくる。言い換えると、エデンの園はまだ理想の状態にはなかった。理想の状態とは、繁栄と活気がみなぎり、文化が生み出され、神の栄光が帰される、イエスを中心とした都市である。

福音の再発見』p.44-45




「神の国」という概念は

福音書を理解するのに鍵となるもので

かなり 壮大なテーマです


ですから

モザイク画のように

部分 部分を 表していく必要があります


上記の短い引用からも

少なくとも 二つのことを

学ぶことが出来ます


一つは

王と国の関係

もう一つは

アダムと神の国の関係

です




一つ目は

とても 単純なことです

それは

「国」とは王の治める領域 「王国」だと言うことです


『福音の再発見』の訳注には 以下のように記されています


ギリシャ語のBasileiaで、王の統治下にある領地を指す言葉。日本語の新約聖書では「御国」「神の国」と訳されているが、英語では「Kingdom」であり、「御国」とは神を王とする王国であることを示唆している。

つまり

Kingdomは、Kingの主権の及ぶところだということです

言われてみれば

当たり前のことですが

意外と見落とされがちなのではないでしょうか?


例えば

イエス様はその宣教の初めに

「神の国は近づいた」と語られましたが

その言葉は、王の到来を予期させるものでした


イエス様は

何となく心地良い世界が実現される

と教えられたのではなく

真の王の統治が始まろうとしている

と 宣言されたのです


ですから

「神の国」について述べることは

聴衆のうちに

「では、その王とは誰か?」

という問いを呼び起こすものでした


もちろん

「神の国」ですから

王は「神」なのですが

その神の代理人の登場を

人々は期待したはずです


この王と国の関係を意識せずに

「キリスト」 油注がれた者という言葉は

ふさわしく理解することはできないでしょう


キリストとは

神の国の王なのです




もう一つ

アダムと神の国の関係ですが

このことは

今、確認したことと結びつくものです


というのも

アダムは

もともと 王として

創造されたからです


このアダムが王的存在であったという考えは

聞き慣れないものかもしれませんが

それは、創世記の言葉使いからも

確認できるものです


以下のように記されています


 まず,「かたちとして」と「似せて」の背後にあるヘブル語,ツェレム(かたち)とデムート(似姿)は,5章1節,3節でも用いられていますが,それらに付く前置詞が入れ替わっているだけで,二つの間には意味の違いはありません。これらは,紀元前9世紀のアラム語のファハリヤ碑文にもワード・ペアー(対語)として出て来て,共に,王の「像」を指しています。
 「かたち」という語は,「神の」という修飾がつく時,単に人が神と類似しているというのではなく,人が神の代理として「治める者」であることを意味します。詩篇8篇の,「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ,万物を彼の足の下に置かれました。」(6節)もそのことを指しています。これは,古代エジプトやアッシリアで,王が「神のかたち」であると考えられていたことに通じるものですが,聖書では,他のオリエントとは違って,王だけでなく「人」が,男も女も,「神のかたち」なのです。
 このように,創世記1章は,人が「神のかたち」,即ち真の王である創造者なる神の代理として,即ち,神の「副指揮官」として被造物を治めるように創造されたのだと主張しているのです。ですから,再び28節で「地を従えよ。海の魚,空の鳥,地をはうすべての生き物を支配せよ。」と命じられています。

聖書翻訳を考える』p.46-48より


この引用では

「副指揮官」という言葉が用いられていますが

アダムは、真の王である神の支配を体現するものとして

地に置かれていたのです




しかし

アダムは その王としての務めを 十分に果たすことができませんでした


むしろ

治めるべきだった獣の一つ蛇にそそのかされ

神の言葉ではなく 蛇の言葉に従い

神の秩序を 乱してしまったのです


このアダムがなしえなかった役割を

担う型として、キリストは来られたのです


そう考えると

キリストのもたらされようとした「神の国」は

創造の業と深く関わるものであり

アダムが、台無しにしてしまった神の統治を

回復するものだったと

わかります





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