神は、ご自身の神殿として世界を創造し、神のかたちに造られたアダムとエバという二人の小さなエイコンを、神の宮の園(エデン)に置かれた。
スコット・マックナイト著『福音の再発見』p.43より
神殿としての世界の創造...
このような捉え方について
『聖書翻訳を語る』では
以下のように記されています
創世記1章が伝えているのは、神による「6日間の創造のわざ」と7日目に神が創造のわざをやめられたこと。古代オリエントの「7日間の神殿建築」という図式とは明確に異なる。ウォルトンの言う、「神殿神学」に基づいて創世記1章が記されたかのような仮説には根拠が乏しい。
『聖書翻訳を語る』p.106より
似ているからと言って
何でもかんでも結びつけるのは
たしかに よろしくありません
けれども
天地の創造と
神殿建築を結びつけるのは
全くの誤りなのでしょうか?
創世記3:8を見ますと
園が本来 神の臨在が表される場所であったように
読めます
もし そうであるならば
「古代オリエントの「7日間の神殿建築」という図式とは明確に異なる」
と言うのも また
言い過ぎなように思えます
神殿とは
神が共にいてくださることを表す空間です
それならば
園は 神殿的な領域だったのではないでしょうか?
後の幕屋、そして神殿には
ケルビムの刺繍、装飾を施したものが置かれていましたが
それらは、園からの追放を想起させ
園で享受していた臨在の回復を 思い描くためのものだった
と 私は読んでいます
幕屋建設に従事したモーセが
創造の出来事を記す際に
そのことを意識していた可能性は
十分にあると思います
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ジョン・H・ウォルトン著『創世記1章の再発見』
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