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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

生きる(ローマ人への手紙)

福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる(G2198)」と書いてあるとおりです。

1:17


決してそんなことはありません。罪に対して死んだ(G0599)私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられる(G2198)でしょうか。

6:2


なぜなら、キリストが死なれた(G0599)のは、ただ一度罪に対して死なれた(G0599)のであり、キリストが生きておられる(G2198)のは、神に対して生きておられる(G2198)のだからです。同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者(G3498)であり、神に対して生きている者(G2198)だと、認めなさい。ですから、あなたがたの死ぬべき(G2349)からだを罪に支配させて(G0936)、からだの欲望に従ってはいけません(G5219)。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません(G3936)。むしろ、死者(G3498)の中から生かされた者(G2198)としてあなたがた自身を神に献げ(G3936)、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。

6:10-13


それとも、兄弟たち、あなたがたは知らないのですか──私は律法を知っている人たちに話しています──律法が人を支配するのは、その人が生きている(G2198)期間だけです。結婚している女は、夫が生きている(G2198)間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死んだ(G0599)ら、自分を夫に結びつけていた律法から解かれます。したがって、夫が生きている(G2198)間に他の男のものとなれば、姦淫の女と呼ばれますが、夫が死んだ(G0599)ら律法から自由になるので、他の男のものとなっても姦淫の女とはなりません。ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです(G2289)。それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者(G3498)の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。

7:1-4


しかし、罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあらゆる欲望を引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだもの(G3498)です。私はかつて律法なしに生きていました(G2198)が、戒めが来たとき、罪は生き(G0326)、私は死にました(G0599)。それで、いのちに導くはずの戒めが、死(G2288)に導くものであると分かりました。

7:9-10


ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならない(G2198)という、肉に対する義務ではありません。もし肉に従って生きる(G2198)なら、あなたがたは死ぬ(G0599)ことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺す(G2289)なら、あなたがたは生きます(G2198)。

8:12-13


「...あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、彼らは生ける(G2198)神の子らと呼ばれる。」

9:26


モーセは、律法による義について、「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる(G2198)」と書いています。

10:5


ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きた(G2198)ささげ物として献げなさい(G3936)。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

12:1


私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人(G2198)はなく、自分のために死ぬ人(G0599)もいないからです。私たちは、生きる(G2198)とすれば主のために生き(G2198)、死ぬ(G0599)とすれば主のために死にます(G0599)。ですから、生きる(G2198)にしても、死ぬ(G0599)にしても、私たちは主のものです。キリストが死んで(G0599)よみがえられた(G2198)のは、死んだ人(G3498)にも生きている(G2198)人にも、主となるためです。それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。次のように書かれています。
「わたしは生きている(G2198)──主のことば──。
すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、
すべての舌は、神に告白する。」

14:7-11




義人は信仰によって生きます


その者は

死者の中から生かされた者であり

罪のうちに生きることが できない者であり

肉に従って生きずに

御霊によってからだの行いを殺して 生きる者です


その者は

自分のために ではなく

神に対して 主のために 生き

そのからだを 罪に支配させたり 献げたりせず

神に生きたささげ物として献げます


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