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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

良き知らせを伝える 福音化する(旧約聖書)

更新日:2020年3月31日

聖書を学ぶ時に

英語の表現が

必ずしも

参考になるとは限りません


かえって 混乱を招くことも

少なくありません

(イザヤ書9:6の"counselor"などはその典型でしょう)


しかし

「伝道」という言葉に関して言えば

英語の用語を知ることは

とても役に立ちます


英語では伝道は"evangelism"と言います

ご察しの通り、これはギリシア語のεὐαγγέλιον(euangelion)から

派生した言葉です


伝道する

とは

英語においては(本来)

特定の決心を迫ること というより

「福音化する」ことなのです

(その語源がどれほど意識されているかは謎ですが…)




このevangelismという用語自体は

おそらく聖書には用いられていないでしょうが

同様の捉え方は聖書にも見られます

新約聖書では

εὐαγγέλιονという名詞とともに

εὐαγγελίζομαι(euangelizomai)という動詞が

用いられています


有名なコリント人への手紙15:1-2には

以下のようにありますが

ここで「宣べ伝えた」「伝えた」と訳されているのが

このεὐαγγελίζομαιです


兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた(G2097)福音(G2098)を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を伝えた(G2098)か、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

パウロは

ここで

「良き知らせを伝える」という動詞εὐαγγελίζομαιを

「良き知らせ」福音という目的語と共に用いているのです

(この「馬に乗馬」「アメリカに渡米」のようなくどい表現は聖書にしばしば見られるものです)




それでは

このεὐαγγελίζομαιは

聖書の世界において

どのように用いられてきたのでしょうか?




(ヘブル語で記された)旧約聖書のギリシア語訳、七十人訳聖書において

εὐαγγελίζομαιは

主に「戦勝を告げる」という意味合いで

使われていました


彼ら(ペリシテ人)はサウルの首を切り、彼の武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地の隅々にまで人を送り、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた(H1319)。

サムエル記第一31:9


何とも悲しい例文で申し訳ない限りですが(笑)

ここで告げ知らせると訳されているבשׂר(bsr)の訳語として用いられているのが

εὐαγγελίζομαιなのです


また

サムエル記第二1:20, 4:10, 18:19-20, 18:26, 18:31, 列王記第一1:42, 歴代誌第一10:9などでも

同様のニュアンスで

εὐαγγελίζομαιが使われています




そして

有名なイザヤ書40:9, 52:7, 61:1

加えて60:6も

このことを踏まえて解釈する必要があるでしょう


シオンによき知らせをもたらす者よ、(あの)高い山に登るのだ。エルサレムによき知らせをもたらす者よ、精一杯の声を上げるのだ。おまえたちは(声を)上げるのだ。恐れてはならない、ユダの町々に告げるのだ。「見よ、われらの神を」と。見よ、主は力を帯びて来られ、(その)腕は隆々として力を帯びておられる。見よ、そのかたの報酬はその方とともに(あり)、その方の働きはその方の前にある。

山々の上の春の季節の(到来の)ようにして、平和の到来というよき知らせを宣べ伝える者の足音のようにして、よきことを宣べ伝える者のようにして。わたしは、おまえの救いについて(人びと)に聞こえるようにし、「シオンよ(これからは)おまえの神が王として支配する」と、言う。

52:7


おまえは目を上げて周囲を見回すのだ。見るのだ、おまえの子らが集まって来た。見よ、おまえのすべての息子たちが遠隔の地からやって来た。おまえの娘たちは肩車されてやって来る。そのときおまえは(それを)見て恐れ、心中、仰天する。海と異民族と諸国民の富がおまえのものとなるからである。おまえのもとへは駱駝の群れが行く。ミディアンとエファの駱駝が(多すぎて)おまえを覆い隠す(かのようだ)。これら(駱駝の隊列)はどれもシバからやって来るもので、黄金(G5553)を運び、乳香(G3030)を携えている。彼らは主の救いのよき知らせをもたらす

60:4-6


主の霊がわたしの上に(ある)。主がわたしに油を注がれたからである。主はわたしをお遣わしになった。貧しい者たちに良き知らせをもたらし、傷心の者たちを癒し、囚われた者たちに解放を、盲いの者たちに開眼を告げ、主が受け入れられた年を報復の時と宣告するために、(また)嘆き悲しむ者たちすべてを慰めるために。

61:1-2


ここでは「戦勝」という意味合いは前面には出ていません


しかし

「平和」「復讐」「報復」「解放」という言葉から

良き知らせは「平定」と関わることを読み取ることが出来ます


また40:10や52:7からは

神の統治、王としての支配の開始が

良き知らせであるということも

知ることができます




ナホム書1:15においても

同じεὐαγγελίζομαιが

敵の敗北と結びつけられています


見よ、山々の上に、よき知らせをもたらし、平和を告げ知らせる者の足(音)は。ユダよ、おまえはおまえの祭りを祝い、おまえの誓願を果たすのだ。彼らが、(おまえたちを)組み伏せようとして、(おまえの所を)侵入することは二度とないからである。

敵が二度と侵入することがないことが

良き知らせなのです




エレミヤ書20:15では

誕生を知らせる動詞として用いられていますが

これは、珍しい例でしょう




つまり

旧約聖書に親しんでいた新約聖書の著者と読者にとって

εὐαγγελίζομαιとは

王の到来と王の勝利を告げ知らせるものだったのです

「(旧約)聖書に書いてあるとおりに」になされたキリストの福音を理解し

その福音を伝えるためには

背景として

このことを理解しておかなければいけません


というのも

キリストは他でもない油注がれた方、王だったからです




(以前も紹介しましたが)

以上のことを踏まえた上で

この↓動画を見るならば

「福音」について、より理解が深まることでしょう



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