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過越における子供たちの位置

ユダヤ人、ユダヤ教と聞いて

どんなイメージを持つでしょうか?




厳格で気難しいイメージを抱いておられる方は

少なくないと思います


特に

彼らの儀式は

堅苦しくて 無味乾燥なのではないかと

考えてしまいがちです




しかし...

本当にそうなのでしょうか?


ユダヤ人の過越の祭りの光景が

このように描かれています


主要な祭りは、いずれも、ぶどう酒をもって祝われた。ぶどう酒は喜びの象徴である。セデルの晩餐では、4杯飲むこととされている。
伝統的な祝福の祈りがささげられた後、第1の杯を飲む。そして、最年少の子どもが4つの質問をする。基本的には、「今晩は、なぜ、いつもの夜と違うのか」といった質問である。その後のセデルでは、その質問に答える形で出エジプトの物語が語られる。「私たちはエジプトで奴隷だったが、神は私たちの叫びをお聞きになり、下ってこられ、私たちを救い出してくださった」。モーセについては何も語られない。
1時間ほどした頃、小ハレル(賛美)と呼ばれる詩篇113、114篇を歌い、第2の杯が出される。私はこの頃になると空腹で死にそうだったが、それから、あの恐怖の時間が訪れるのである。
苦菜(通常、目にしみるようなセイヨウワザビの根)にハロセット(ナッツ、りんご、ぶどう酒などを混ぜ合わせた甘い練り物)をつけたものが、1人1人に配られる。各人はそれを、うめきながら食べる。これは私たちの父祖たちが味わった、約束の地という甘美な希望がなければ耐えることのできないような苦難を表すものである。ハガダーでは、そこにいるすべての人々が実際にエジプトで奴隷となったつもりになるように、と言われている。この珍味は、最初に特別な客人に与えられる。イエスはこれをユダに手渡したのである。
それから、人々は手を洗う(イエスが弟子たちの足を洗ったのは、おそらくこのときだったろう)。そして、やっとご馳走の時間が来る。(イエスの時代は、あぶった子羊の肉だったが、現在は異なる)。3枚のマッツァー(種を入れないパン)のうち、真ん中のもの(アフィコーメン)は、常に過越の子羊の特別な象徴だった。父親はそれを半分に割って、子どもたちが食事に夢中になっている間に隠す。食事が終わるとすぐに、子どもたちがそれを捜し始める。見つかると、父親がそれをごほうびと交換してくれる。父親はそれを割って、すべての客に配る。その晩の食事は、それで終わりである。...
...続いて、多くの楽しい歌を歌う。その中では、大ハレル(詩篇136篇)が歌われる。そして、最後に第4の杯を飲む。このとき、「あなたをさげすむ国々に、あなたの御怒りが注がれますように」という、神への祈りがささげられる。

ミシェル・ギネス「過越と最後の晩餐」『カラー新聖書ガイドブック』p.574-575より




色々と感じるものがあるでしょうが

少なくとも 「形式的」とは言えません


むしろ

とても躍動的で

儀式を守るというよりも

歴史を追体験をするものだ

という印象を受けるのではないでしょうか?




また

子供たちの巻き込み方も

非常にユニークです


彼らに質問させるだけでなく

遊びの要素も加えています


私も一度ユダヤ人ビリーバーの方の主催するパスカ(過越の祭)に出たことがありますが

そこでも

子供たちがパンを捜す時間は設けられていました

(まるでイースターエッグ捜しみたいですね)




これに比べれば

教会のパン裂き、聖餐式の方が

よっぽど儀式っばっているように思います




もちろん

パン裂きは

キリストの復活と共に

死を覚えるものでもあるので

厳かさも保たなくてはいけません


ですから

気軽に楽しくすれば良いというわけではないでしょう


けれども

父祖の歴史を

子供たちと味わうために考えたユダヤ人の知恵から

学ぶべきことは多くあると思います




イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、こう言われた。
「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。...」

マタイの福音書18:2-7


そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。しかし、イエスは言われた。
「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」

マタイの福音書19:13-14


「...すると、その正しい人たちは答えます。
『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
すると、王は彼らに答えます。
『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』...」

マタイの福音書25:37-40






















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