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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

F. F. Bruce"Who are the Brethren?“を読む3

ブルースは

ブレザレンの教理的特徴について

以下のように述べています


DOCTRINES
So far as their doctrines are concerned, Open Brethren have no peculiarities. They hold the historic Christian faith, because they find it plainly taught in the Bible, which is to them, as to children of the Reformation, 'the only infallible rule of faith and practice'.
They are wholeheartedly evangelical in their understanding and presentation of Christianity, proclaiming Jesus Christ, the Son of God, as the all-sufficient Saviour of those who put their trust in Him and as the only hope for mankind.
The beginnings of the Brethren movement were attended by a keen interest in the fulfillment of Biblical prophecy, and many of them are still characterized by this eschatological awareness. Their hymnody gives quite a prominent place to the Second Advent of Christ. But no single line of prophetic interpretation is held or imposed by them. Indeed, one of the features which many people find attractive about their fellowship is the spiritual and intellectual liberty which is enjoyed there in an atmosphere of brotherly love.

以下私訳です

教理
教理に関する限り、オープンブレザレンに特有なものはありません。彼らは、宗教改革の系譜に連なる教会と共に、歴史的キリスト教信仰を保持しています。なぜなら、それらが信仰と実践の唯一絶対的な規範である聖書に、明白に教えられていることを、彼らは知っているからです。
彼らはキリスト教の理解と提示において、心から福音主義に同意しています。福音主義者は、神の子イエス・キリストは、彼に信頼する人々の完全な救い主であり、人類に対する唯一の希望であると宣言しています。
ブレザレン運動の始まりには、聖書の預言の成就に対する強い関心があり、今でもブレザレンの多くの人たちが、この終末的意識によって特徴付けられています。彼らの賛美歌においては、キリスト再臨というテーマが、特別な位置を占めています。しかし、預言の解釈において、唯一の方向性が保持されること、もしくは押し付けられることはありません。確かに、多くの人々が彼らの交わりに魅力を感じる一つの特徴は、兄弟愛の雰囲気の中で味わわれる霊的、知的な自由さです。



このブルースの解説については

半分同意、半分疑問 ですね...




たしかに

歴史的キリスト教信仰が

信仰と実践の唯一絶対的な規範である聖書に

明白に教えられていることは

そのとおりでしょう


表された教理を保持することは

ブレザレンに限らず 全教会の使命だと言えます




また

終末論、預言の解釈において

ブレザレンが一枚岩ではないことも 事実です


草創期のメンバーの一人であるジョージ・ミュラー

患難期前携挙説に否定的であったことは

よく知られていることです

(ブルースもディスペンセーション主義には立ちませんでした)




ただ

ブルースの主張は

理論上は正しかったとしても

人々の自己認識のレベルでは

真実では無いように思います




例えば

自分たちは「歴史的キリスト教信仰」を引き継いでいる

という意識を 持っているブレザレンの方は

一体 どれくらい いるのでしょうか?


むしろ

「私たちは

 かつての腐敗した教会から離れてきた!

 私たちに真理を教える教師は

 聖書のみである!」

と 考え

「歴史的キリスト教」との間には断絶がある

と理解している兄弟姉妹は

(特に日本では...)

意外と多いのではないでしょうか?


現実的には

聖書を読んだ先人の遺産にあずかっているからこそ

福音的信仰とは何かを知ることが出来ているのですが

(でなければ、白紙状態で 聖書から学んでいかなければいけません)

そのことが 強調されることは

(日本の)ブレザレンの群れにおいて

ほとんどありません




また

日本にいると

終末論の捉え方についても

それほど自由があるようには思えません


英国ならいざ知らず

特に、北米回りのブレザレンは

ダービスコフィールドの影響を色濃く受けているように感じます


加えて

関西圏の集会は

患難期前携挙説に基づく伝道メッセージによって

教勢を伸ばしてきたこともあり

終末論を再検討することは

ほとんど タブー視されています







もちろん

そのあり様は

ブレザレン運動が

教派を超えた一致を目指したものであったことを

思う時に、まことに(まことに!)残念なことですが…




このブルースの言葉は

むなしく響いてますね…


Indeed, one of the features which many people find attractive about their fellowship is the spiritual and intellectual liberty which is enjoyed there in an atmosphere of brotherly love.












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【関連書籍】

F.F.ブルース著『初代キリスト教の歴史

グレース・ハルセル著『核戦争を待望する人びと

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