2:7-8
5:10
また賜物は、一人の人が罪を犯した結果とは違います。さばきの場合は、一つの違反から不義に(G2631)定められましたが、恵みの場合は、多くの違反が義と(G1345)認められるからです。もし一人の違反により、一人によって死(G2288)が支配する(G0936)ようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義(G1343)の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのち(G2222)にあって支配する(G0936)ようになるのです。(For if, because of one man’s trespass, death reigned through that one man, much more will those who receive the abundance of grace and the free gift of righteousness reign in life through the one man Jesus Christ.)こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に(G2631)定められたのと同様に、一人の義の行為(G1345)によってすべての人が義(G1347)と認められ、いのち(G2222)を与えられます(Therefore, as one trespass led to condemnation for all men, so one act of righteousness leads to justification and life for all men.)。
5:16-18
それは、罪が死によって支配した(G0936)ように、恵みもまた義(G1343)によって支配して(G0936)、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのち(G2222)に導くためなのです。
5:21
6:4
しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠(G0166)のいのち(G2222)です。罪の報酬は死(G2288)です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠(G0166)のいのち(G2222)です。
6:22-23
私は死にました(G0599)。それで、いのち(G2222)に導くはずの戒めが、死(G2288)に導くものであると分かりました。
7:10
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に(G2631)定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのち(G2222)の御霊の律法が、罪と死(G2288)の律法からあなたを解放したからです。
8:1-2
肉の思いは死(G2288)ですが、御霊の思いはいのち(G2222)と平安(G1515)です。
8:6
8:10-11
私はこう確信しています。死(G2288)も、いのち(G2222)も、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、
8:38
私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたい(G4982)のです。もし彼らの捨てられることが世界の和解(G2643)となるなら、彼らが受け入れられることは、死者(G3498)の中からのいのち(G2222)でなくて何でしょうか。
11:14-15
いのちは御霊によるもの であり
キリストの復活によるもの です
いのちは 人に救いをもたらし
死ぬべきからだを生かすものですので
クリスチャンは そのいのちにあって 歩みます
そのようにして
聖潔に至る実を得る生き方を続ける中で
永遠のいのちを味わうのです
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