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執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

アラン・ミラード著『聖書時代の秘宝』























購入したのは たしか 神学生時代


手に入れた頃は

興味がわいた箇所や

メッセージに関わる箇所だけを

拾い読みしていました


また

その後も

聖書の言葉のイメージを掴むために

図版だけ 参照することもありました




しかし

今回 初めて

通しで 読んでみることにしました


(集中力の問題もあって笑)少しずつしか読めなかったので

読了するまでには 結構時間がかかりましたが

面白かった ですね




この本には

遺物や古代文書の解説だけでなく

それが発見された経緯や

学説の変遷などについても触れられています


帯には

「考古学上の発見は 聖書について 何を語り得るか...」

とありますが

それだけではなく

「考古学」とは

そもそも どういう学問なのかについても

考えさせられます




考古学は

高度に体系化された学問で

学者たちも(基本的には)

慎重に議論を積み重ねています


けれども

出会いによって決まると言うのか

摂理が働くと言うべきか

偶然の出来事に

大きく左右される部分があることも

否定できません




歴史的資料が

聖書に光を投げかけてくれることは

間違いありませんが

そこから得られる知見と

健全に付き合うために

この書は

優れた事例研究を

提供してくれています




聖地の物語』と共に

通読することをお勧めします




...限定的に発掘された地域からは、人間と自然の雨風によって遺跡の上で数世紀にわたって行われてきた破壊の総計ともあわせて、その遺跡の完全な歴史を回復することはとうていできないのである。発見された物は、かつて存在していたもののほんの一例であり、一部分であるにすぎないのである。
これは、考古学の発見にもとづく議論を読むとき、覚えておくべき重要な条件である。その証拠が十分に健全に確立されていないならば、またその時代と地域に関する他の知識との関連の中で検討されていないならば、それは誤った方向へ私たちを導いていくかもしれない。考古学的発見に適用すべきことは、また文書資料にも適用される。それらもまた古代において書かれたあらゆる文書の一つの見本でしかない。何千という文書が現代の博物館にあろうとも、さらに多くの何千という文書は失われてしまったのである。
2, 3の建物、2, 3の文書、2, 3の物品が、遠く数世代にわたって続くように順序よく並べられる。しかし大多数は偶然に生き残り、偶然に発見されたものである。事実発見されたものは、その種のものとしては当時典型的なものではなかったかも知れない。このことは、新しい発見がなされることによって学者たちはそれまでの学説を完全に変えなければならないかも知れないし、それを変更しなければならないかも知れないということを意味する。

聖書時代の秘宝』p.33より




【関連書籍】

ジャン=バティスト・アンベール, エステル・ヴィルヌーブ著『「知の再発見」双書134『死海文書入門』

ジョン・H・ウォルトン著『創世記1章の再発見

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