...もしキリストが世界で最も尊厳ある存在だとすると、その方の私たちへの愛とはどのようなものでしょうか。私たちが大切にされていると感じるだけのものではないはずです。それではたましいに真の幸福をもたらしません。私たちはもっと大きなことのために創造されているのです。私たちが得られる幸福を最大限に得ようとするのなら、我を忘れて、最も栄光ある存在、イエス・キリストを見て味わう以外にありません。となると、キリストが私たちを愛するということは、ご自身の栄光を最大限に追求し、それを私たちの喜びとして提供なさることに他なりません。ですから主は、十字架にかかる前の晩、神に祈られました。「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです」(ヨハネ17・24)。それが愛です。
『イエス・キリストの受難』p.200-201より
パイパーの素晴らしい所を二つあげるとするならば
ありがたみを 忘れがちな大切なことを思い出させてくれること
そして
見過ごされがちな大切なことに 気づかせてくれること
ではないかと思います
特に
私は 後者に助けられています
教会では敬遠されがちな部分にも
しっかりと 光があてられていますので
真理を全体的に語ることの価値を再確認させられます
「あたりまえ」「十分知ってる」と
流して読みかけた頃に
突然 核心をつくボールが投げられて
「おぉ!」「そうか!」となりますので
油断はできません笑
「見習いたい」と言うのはおこがましいですが
やっぱり 憧れますね
【関連書籍】
ジョン・パイパー著『病床で学んだこと』
ジョン・パイパー著『聖書が語る真実のイエス』
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