神殿はユダヤ人の信仰の中心的シンボルであり、神にその民が特別に近づける場所だった。神殿に満ちる神の聖なる臨在こそ、エルサレムを聖都とし、パレスチナを聖地とするものだった。神殿に満ちる神の臨在によってこそ、そこが神への献げものができる唯一の場所となったのだ。ユダヤの祭はある意味では収穫感謝のためだったが、しかし同時にイスラエル民族の起源にまつわる重要な出来事を祝うためでもあった。たとえば過越祭は出エジプト、すなわちモーセがイスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から解放した出来事を記念するためのものだった。これらの祭はユダヤの人々に、自分たちが民族の物語(それはヘブライ語聖書にも語られている)の一部なのだという強い思いを吹き込むのに役立ったことだろう。とくに、どのようにして神がアブラハムを召し出し、アブラハムの子孫をエジプトでの抑圧から解放し、シナイ山で契約を結んで彼らを神の民とし、そして彼らにイスラエルの地を与えたかということを、彼らは祭をとおして知ったことだろう。この解放物語は、ローマの抑圧に対して当時のユダヤ人たちが抱いていた思いと大いに関係があった。彼らの多くは、神が彼らを異邦人の支配の軛から再び解放し、ローマによって奪われている土地を彼らに戻してくれること、つまり新しい出エジプト(ニュー・エクソダス)を待ち望んでいたのだ。ある人々がイエスに期待していたのはまさしく、こういう意味での新しい出エジプトをもたらしてくれることだった。イエスは生かしておくにはあまりにも危険な人物と当局者たちが判断したのが、おびただしい人々がエルサレムに巡礼のために押し寄せることの過越祭りの時期だったことは注目すべきだ。過越祭は、神がイスラエルをエジプトから解放したことを思い起こすだけでなく、神がその民をローマから解放することを熱望する時でもあったのだ。
リチャード・ボウカム著『イエス入門』pp.42-43より
「新しい出エジプト」と聞くと
あまりにも対立的で
懐古趣味が過ぎると
感じる人もいるかもしれません
時々
ユダヤ人たちが ローマ帝国からの解放を期待していたことを
「現世的」「人間的」「肉的」だと
非難するクリスチャンがいます
けれども
そのように
涼しい顔で 彼らの望みを否定できるのは
彼らの現実を知らないからではないでしょうか?
同じ『イエス入門』には
ローマ帝国の支配について
次のように記されています
ローマ帝国の支配はそれぞれの地域の習慣や文化に対してそれなりに寛容だったが、パレスチナに住むユダヤ人たちは宗教的・政治的信条から、自分たち神の民が異教の支配者たちから強いられている隷属に反発しつづけた。その支配者たちが神を自認し、その帝国が自らの繁栄を異教の神のおかげとしているとなればなおさらだ。ローマ支配のなかでも一般庶民にいちばん影響を及ぼしたのは税制だった。最低の生活水準に近い暮らしをしている小作農にとって、それは公共の利益のためというより単なる重荷だった。後世のユダヤ人評論家はそのことをこう表現してみせた。「ローマ人は通行税を徴収するために立派な橋を架けた」。ローマがその支配下の人々に与えると約束した平和と繁栄の恩恵によっては次の事実を覆い隠せなかった。すなわち、帝国はなによりもローマ人と彼らを支える属州エリート支配者たちの繁栄のために存在していたという事実を。
p.39より
ローマからの解放を願っていたのは
偏狭な「民族主義者」だけではありません
平穏な日常を願う一般庶民も
圧政からの自由を心待ちにしていたのです
彼らにとって独立は
信仰の問題であるだけでなく
生活のかかったものだったのです
そして
この「新しい出エジプト」「過越」というモチーフは
福音書に浸透しているということも
覚えておく必要があります
例えば
ヨハネの福音書1:29で
バプテスマのヨハネはイエス様を見て
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」
と言いましたが
この「子羊」という言葉が
過越の祭でささげられた羊を含む犠牲動物を
想起させるものだったことは間違いありません
また
ヨハネは
2:13以降、6:4以降、11:55以降と
三度、過越の時期の出来事を描いています
特に11章では
過越の祭にあたって
ユダヤ人のイエス様への関心が高まっていたことが
書き留められています
さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づいた。多くの人々が、身を清めるため、過越の祭りの前に地方からエルサレムに上って来た。彼らはイエスを捜し、宮の中に立って互いに話していた。「どう思うか。あの方は祭りに来られないのだろうか。」祭司長たち、パリサイ人たちはイエスを捕らえるために、イエスがどこにいるかを知っている者は報告するように、という命令を出していた。
ヨハネの福音書11:55-56
この盛り上がり(?)は
6章において
イエス様が5000人の給食をされたことと
無関係ではなかったでしょう
この奇跡を見た人々は
「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」
と言いましたが
ここで言われる「預言者」は
申命記で預言されていたモーセの後継者を
指していました
あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。...
わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのような一人の預言者を起こして、彼の口にわたしのことばを授ける。彼はわたしが命じることすべてを彼らに告げる。
申命記18:15, 18:18
人々は
過越を待つ時期に
パンのしるしを目撃したことで
出エジプトの時に降ってきたマナを
思い出したのではないでしょうか?
それを知ってか
イエス様も
モーセのなした業との比較の中で
ご自分の御業とご自身について
説明しておられます(ヨハ6:32-33参照)
「...わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
ヨハネの福音書6:48-51
このように
イエス様が ご自分について
モーセの後を継ぐ者であり(ヨハ5:45-46参照)
モーセに勝る者である
と語られたことは
好意的にも
否定的にも受け取られていました
だからこそ
11章の終わりにあるように
人々の注目が集まってきたのでしょう
ただ
イエス様は
ユダヤ人の願った通りには
動いてくださいませんでした
彼らの望む王にはなられませんでしたし(ヨハ6:15参照)
ローマと政治的、軍事的に対立されることもありませんでした
(ローマの論理と倫理には異を唱え、「 ローマの平和」を乱しはしましたが…)
それでは
ユダヤ人の待ち望んだ「新しい出エジプト」は
幻と消えてしまったのでしょうか?
そうとは言えません
ヨハネは
イエス様が
「完了とした」と語られて
霊をお渡しになった後の出来事を
このように記しています
その日は備え日であり、翌日の安息日は大いなる日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に死体が十字架の上に残らないようにするため、その脚を折って取り降ろしてほしいとピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた一人目の者と、もう一人の者の脚を折った。イエスのところに来ると、すでに死んでいるのが分かったので、その脚を折らなかった。しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た。これを目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである。その証しは真実であり、その人は自分が真実を話していることを知っている。これらのことが起こったのは、「彼の骨は、一つも折られることはない」とある聖書が成就するためであり、また聖書の別のところで、「彼らは自分たちが突き刺した方を仰ぎ見る」と言われているからである。
ヨハネの福音書19:31-37
二人の犯罪人とは違い
イエス様の脚は折られませんでしたが
ヨハネは、このことを聖書の成就だと捉えています
そして
この理解の背景には
出エジプト記の過越の規定があると考えられています
これは一つの家の中で食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。
出エジプト記12:46
つまり
イエス様は
過越の祭の子羊としての務めを
全うされたのです
「完了した」という言葉には
そんな意味も込められていました
イエス様の十字架の死は
「新しい出エジプト」の前触れだったのです
では
その結果
ユダヤ人たちの実生活は
どのように変化したのでしょうか?
その問いには
簡単に答えることはできません
けれども
その後の歴史と
イエス様の弟子たちの歩みに注目するなら(ヨハ13:34-35, 15:12, 使2:43-47, 4:32-35参照)
考えるヒントを得られるかもしれません...
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