top of page
執筆者の写真おいまつ÷のぞむ

ロバート・ゴルディス著『神と人間の書』を読む2

 ホクマーというのは、人生の諸問題に対する現実的対応手段であって、文明の実際的技術や専門的技法の一切を含む、と定義できよう。ハーカーム、すなわち「知者」あるいは「賢者」という語は、従って、聖書においてはすべての技術者に当てはめられる。ベザレルは、荒野でその任命をうけて幕屋を建てた練達の職人であるが、彼とその仲間たちはみな「心に知恵ある者」と呼ばれている(出エジプト記二八章三節、三五章三一節、三六章一節)。織工(出エジプト記三五章二五節)、金細工人(エレミヤ書一〇章九節)、および船員ら(エゼキエル書二七章八節。詩篇一〇七篇二七節)もハカーミーム〔知者たち〕と記されている。
 ラビの用いたヒブル語が古代の用法を保存していることは、その手腕が生死にかかわる「助産婦」にハカーマーという語を当てていることからして確かである。巧みな泣き女(エレミヤ書九章一六節〔邦訳一七節〕)や不可思議な技術をもつ魔術師や占い師も同じように「賢い」者と記されている(創世記四一章八節。列王記上五章一〇-一二節。イザヤ書四四章二五節。エレミヤ書九章一六節)。戦争指導や国家行政に巧みであることは(イザヤ書一〇章一三節、二九章一四節。エレミヤ書四九章七節)知恵の不可欠な面である。事柄をうまく処理するにはーー戦時にも平時にも、宮廷でも、個々の家族に限った場合でもーー人間性についての現実的な理解、実質的な善の実行、および少くとも重大な不道徳を避けることを必要とする。
 なによりも、ホクマーは詩や音楽、声楽ならびに器楽の技法に関係がある。歌は古代イスラエルにおいては人生そのものと同延のものであった。刈入れとぶどうの取入れ、王の即位、勝利者の凱旋、求愛と結婚、みな踊りを伴った。

神と人間の書』p.99-100




時々

人間の営みは 3つのHに分けられる

と言われます


Head Heart Hand

頭と心と手

その3つの領域を用いて

私たちは 私たちの業を行なっています




「知恵」と 聞きますと

どちらかというと 主にHead、頭に関わるものをイメージします


しかし

旧約聖書の語る「知恵」は

倫理的な側面を持つだけでなく

「技術」や「技法」までも含むものです


つまり

Head Heart Handの全てに及び

全てを 用いるものが

「知恵」なのです




そう考えますと...

フィールドワークの伴わない

単なる思考実験をしているだけでは

「知者」にはなれないことになりますね














【関連記事】

閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示

箴言5:16

新共同訳 その源は溢れ出て 広場に幾筋もの流れができるであろう。 岩波訳 お前の泉が、街路に、水の支流が、広場に溢れ出して[もよいのか]。 フランシスコ会聖書研究所訳 お前の湧き水が外に溢れ、お前の水の流れが広場に溢れないようにせよ。 聖書協会共同訳 あなたの泉の水が路地に...

神とともに歩む, 神の前に歩む(創世記)

新改訳2017 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。 創世記5:22 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。 創世記5:24 これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった...

Comments


bottom of page