ホクマーというのは、人生の諸問題に対する現実的対応手段であって、文明の実際的技術や専門的技法の一切を含む、と定義できよう。ハーカーム、すなわち「知者」あるいは「賢者」という語は、従って、聖書においてはすべての技術者に当てはめられる。ベザレルは、荒野でその任命をうけて幕屋を建てた練達の職人であるが、彼とその仲間たちはみな「心に知恵ある者」と呼ばれている(出エジプト記二八章三節、三五章三一節、三六章一節)。織工(出エジプト記三五章二五節)、金細工人(エレミヤ書一〇章九節)、および船員ら(エゼキエル書二七章八節。詩篇一〇七篇二七節)もハカーミーム〔知者たち〕と記されている。
ラビの用いたヒブル語が古代の用法を保存していることは、その手腕が生死にかかわる「助産婦」にハカーマーという語を当てていることからして確かである。巧みな泣き女(エレミヤ書九章一六節〔邦訳一七節〕)や不可思議な技術をもつ魔術師や占い師も同じように「賢い」者と記されている(創世記四一章八節。列王記上五章一〇-一二節。イザヤ書四四章二五節。エレミヤ書九章一六節)。戦争指導や国家行政に巧みであることは(イザヤ書一〇章一三節、二九章一四節。エレミヤ書四九章七節)知恵の不可欠な面である。事柄をうまく処理するにはーー戦時にも平時にも、宮廷でも、個々の家族に限った場合でもーー人間性についての現実的な理解、実質的な善の実行、および少くとも重大な不道徳を避けることを必要とする。
なによりも、ホクマーは詩や音楽、声楽ならびに器楽の技法に関係がある。歌は古代イスラエルにおいては人生そのものと同延のものであった。刈入れとぶどうの取入れ、王の即位、勝利者の凱旋、求愛と結婚、みな踊りを伴った。
『神と人間の書』p.99-100
時々
人間の営みは 3つのHに分けられる
と言われます
Head Heart Hand
頭と心と手
その3つの領域を用いて
私たちは 私たちの業を行なっています
「知恵」と 聞きますと
どちらかというと 主にHead、頭に関わるものをイメージします
しかし
旧約聖書の語る「知恵」は
倫理的な側面を持つだけでなく
「技術」や「技法」までも含むものです
つまり
Head Heart Handの全てに及び
全てを 用いるものが
「知恵」なのです
そう考えますと...
フィールドワークの伴わない
単なる思考実験をしているだけでは
「知者」にはなれないことになりますね
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