…イスラエルとその近隣の人々との入り組んだ関係がしばしば誤解されてきたことは認めざるを得ない。現代のある思想家が指摘したように、「思想の歴史は弁証法的展開という言葉で理解されよう。弁証法的展開においては、人々はその先輩たちが持っていた見解に反対し、その見解の一面性を正反対の立場で訂正する。ああ、それも同じく一面的である」。聖書の以前の孤高に対する自然な反動として、また現代の豊かな考古学上の発見の影響で、学者たちはみな、あまりにしばしば、正反対の方向へ行きすぎるきらいがあった。彼らは、似ていさえすれば、真偽は問わず、それをヒブル人がバビロニア、エジプト、あるいはウガリットの資料から借りたものだと見がちであった。もちろん、これは極めていかがわしい方法論である。比較されている二文書に、思想上まれな連続性があるとか、また何か際立った例外的な共通の特徴があるならまだしも、類似点があるというだけでは依存の立証にはならない。この事情は紀元前一〇世紀から七世紀のものとされるエジプトの『アメンエムオペの処世訓』に関して認められる。この作品は箴言の或る部分全体(二二章一七節-二四章二二節)に酷似しており、したがって大部分の学者によってヒブルの作品に対する直接的あるいは間接的資料と見られている。
けれども、一般にはこういう明瞭な関係を証拠立てることはできない。まず第一に、心にとめなければならないのは、ヒブルの知恵が利用した古代の資料や基本的関心は、バビロニアやエジプトの賢者たちを揺り動かしたものと同一のものであったということである。さらに、こういう基本的な人間的関心は、見解、雰囲気、および表現形式において同じようなものを作り出しがちであったであろう。最後に、そして最も重大なのは、この共通なオリエントの遺産が「創造的融合」という遠大な経過を辿らされたことである。ヒブル精神は、周囲の文化の中から、自分が価値ありと見た要素を採用し、潜在的に有用と思ったものに手を加え、また根本的に相容れないと認めたものを拒否した。それで、類似点は細かいことについてはしばしば啓発的であるが、さらに深く掘り下げ、またもっと重要なものというと、それは相違点である。それゆえ、知恵文学に対する聖書外の平行文学についての均衡のとれた研究というのは、共通の要素を考えると同時に、ヒブルの知恵をそのオリエントの対をなす相手から離し、また超越させている異なる要素についても考えるものでなければならない。
『神と人間の書 (上)』pp.147-149より
「アメンエムオペ(アメンエムオペト)の処世訓(教訓)」は
日本語でも読むことができますが
実際に 読み比べてみると 驚かされます
両者の形式的な類似は
「気のせい」と退けられるレベルではありません
その関係性について 落ち着いて考えるために
上記のゴルディスの説明は 非常に示唆に富んでいます
似ているという事実に動揺しなくても良いですし
まして
聖書記者を オリジナリティのない剽窃者と 見なす必要もありません
同じように
『古代オリエントと旧約聖書』で
K・A・キッチンが示している原則も
とても役に立つでしょう
1 序: いくつの一般原則
(a) 関係についての問題
旧約聖書と古代オリエント宗教の研究において主要な問題は、両者の間にある真のあるいは想定上の、類似点が持つ意義に関するものである。(もし類似点があるとすれば)それらはどの程度の関係を意味するのか? 両者の間に存在し得る関係について3つの程度があるが、それらは次のように定義されよう。
1 世界中の人間社会に共通の特色。これらは非常に普遍的(general)で、我々の現在の研究にはほとんど価値がない。
2 ヘブル人とその同時代人たちの両者に共通で、しかもよく知られている特色。これらは共通の(common)文化遺産のしるしである。
3 1つの文化の中でよく知られており、(そこに歴史を持つ)特色が、多分修正され、そして/または同化され、あるいは再び廃れもして、別の文化の中に(いかなる前例もなく)突然現れるかも知れない。これは、後者の文化による、前者からの借用(borrowing)(あるいは、もっと中立的な語を用いれば、移転〔transfer〕)を表すであろう。
(b) これらの問題の研究の基盤
文化的借用あるいは移転には、それ自体悪いものは何もないことをここに述べておくべきであろう。それは、物事の内容を豊かにする源であり得るのである。そして、旧約聖書の神がイスラエルだけでなくイスラエルの周囲の状況をも支配していると描かれていることは、注目に値する。
他方、どんな文化にも独自の要素があることを否定したり、あるいは、ある文化の諸要素を別の文化の観点から誤解することは、理解のはなはだしい歪みをもたらすだけである。それが旧約聖書の宗教と文学に関してであろうと、他のいかなる古代オリエント文化(エジプト、メソポタミア等)に関してであろうと。
K・A・キッチン著『古代オリエントと旧約聖書』p.115-116より
類似点だけでなく相違点にも
目を留めるべきであること
単純に「似ている」と評価するだけでなく
どのレベルにおいてかを判断すべきであること
これらのことをわきまえていれば
他の文献との比較から得られるものは
とても 豊かなものとなるでしょう
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