『平成史講義』を読む3
- おいまつ÷のぞむ
- 2020年3月24日
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やがて八〇年代半ばには、「成功」していた日本は、「苦境」にあったアメリカに譲歩を迫られ、一九八五年の「プラザ合意」を経てかつてない円高レートがその後の基調となった。言うまでもなく、急激な円高は国際的な日本の産業競争力を大いに弱めたのだが、同時に見かけ上、日本は「金持ち」大国になったので、海外に大規模な投資をする可能性も広がった。しかも日銀は、円高抑制と景気浮場を狙って低金利政策を採ったので、企業からすれば苦労してさらに生産性を上げたり、産業構造を転換するよりも、低金利で借金をして土地や株、海外資産に投資するほうが利潤追求の合理的な方法となっていった。平成のバブルは、決して欲深い人々の狂気から生じたのではなく、八〇年代以降の国際経済のなかでのそれなりに合理的な対処が重なるなかで半ば必然的に生じたのである。
つまり、単純化するならば、成長の飽和とバブル発生は表裏の関係にある。一九七〇年代以降、資本主義世界は市場の飽和を経験し、一方の国の為替レートが下落して輸出競争力が伸びると、他方の国の為替レートは上昇して産業は弱体化するゼロサム・ゲームの状況に入っていた。そうしたなかで、為替レートが上昇して産業競争力の基盤が弱体化した国は、さらに為替レートを上昇させかねない高金利政策を採りにくくなる。生産をなかなか拡大できない状況で、なお金利を求め続ける企業は、いわゆるモノの生産よりも金融的な手段で稼ぎを上げていこうとするのであり、ここにバブルが恒常的、継続的に生じる背景があった。しかしこうして生じたバブル経済は、そもそも実質的な経済成長とは異なるだけでなく、産業競争力の弱体化を背景としているために必ずどこかで崩壊する。
バブルとその崩壊が一九七〇年代以降の世界経済の飽和状態のなかで構造的に生じるものである以上、それは様々に反復されることになる。平成の初め、八〇年代後半から九〇年代初頭にかけて日本で生じたバブルがその最大級のものであったことは疑いないが、九〇年代後半のアメリカでもITブームと重なりながら不動産バブルが生じている。…
吉見俊哉「アメリカの後退・日本の漂流」『平成史講義』pp.283-4より
私は バブルを知りません
気づけば
それは 崩壊していました
「バブル」と聞いて思い出すのは
校庭の朝礼台に立って
見たこともないジュリアナ東京の「モノマネ」をしたことぐらいです
そんな私にとって
バブルは まさに泡のようなものでした
ですから
危機意識の乏しい浮かれたおじさんたちが作り上げた幻想
としか 捉えていませんでした
けれども
実態は...
激しい生存競争の中で
選ばれてきた現実的な選択の積み重ねによって
築き上げられた砂上の楼閣だった...
のです
後から
「別の道に 進めなかったのか?」
と非難することは容易いですが
あの時代に 進路変更を断行するには
相当なダメージが予想されました
一体
誰を 恨めば良いのか?
いや...
バブルに乗せられていたことを嘆くよりも
目覚められたことを
感謝すべきでしょう
『飢えの時代の富むキリスト者』を読んでいると
「国も教会も この30年 何をしていたのか?」
と 不信に思ってしまいましたが
きっと
複雑なダイナミクスが働いていたんでしょうね...
でも
出来れば 同じ轍は踏みたくないものです
地域を超えた 相互補助のシステム
物々交換と人材交流の仕組みを
教会が 組み上げていければ
オルタナティブな行き方を示せるんですけどね
でも
私は
いつも 口だけです...

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