私は信条を告白する環境では育たなかった。私の教会は信条や祈りを斉唱することや、信条そのものについて非常に神経質だったため、主の祈りを皆で唱えることすらなかった。使徒信条を斉唱しようものなら、ゼウスが私たちの上に雷を落としただろう。「われは聖書を信ず」以外のいかなる信条についても、私たちは神経質だったのだ。そのため、私が信条を学び始めたとき、自分の良心の壁を突き破らねばならなかった。相当に学び、考え、祈り、抵抗して初めて、私は信条に屈服した。しかし今では、信条、特に使徒信条と二ケア信条(二ケア・コンスタンチノープル信条)は、すべてのキリスト者の信仰にとって欠かせないものだと考えるようになった。
しかし、信条を学ぶことには、それが私たちの伝統に不可欠な要素だという以上に、はるかに重要な点がある。信条の言葉を注意深く考察した結果、「信条」と「福音」には非常に密接なつながりがあると、私は確信するようになった。あまりに密接なので、信条とは福音だ、と言ってもいいくらいだろう。私が「信条」を「福音」と結びつけるのを聞いて、読者の皆さんはショックを受けるかもしれない。これについては、この章の終わりまでにはもっと明確になる。
p.86より
この著者の気持ちは
よくわかります
「自分の良心の壁を突き破らなければならない」
と 感じるほど
「信条」に対して 抵抗感があったわけではありませんが
違和感を覚えていたのは 事実です
「我は...信ず」という文語調が
古めかしく感じて
より異質なものに思えました
けれども
実際に 読み
いくらか 学び
何度か 朗読するようになって
見方 捉え方が 随分変わってきました
マクナイトの言うとおり
信条は
キリスト者の信仰に 欠かせないものです
ジャック B. ロジャースは
「信条と信仰告白」の中で
次のように述べています
洗礼を受けようとする者は、カクテーメン、すなわち学習者となって、三位一体の神への信仰の意味についての教えを受けた。訓練期間を終えた後、新入会者たちは、自分が告白しようとしている真理を要約した信条を朗唱した。
このような場面で信条を朗唱するのは、神聖な誓いをすることに等しく、その神聖な誓いが「聖礼典」の語の本来の意味である。信条を指して一般に用いられていた別名は、「シンボル」である。これはキリスト者を、かつて自分が受けた洗礼、および三一の神に信頼して立てた厳粛な誓いへと振り向かせるしるしであった。
2世紀後半までに、「信仰の規準」と呼ばれるキリスト教教理の要約が広く知られるようになった。しかし迫害の恐れがあったため、これが書きとどめられることはなかった。その代わり、それは朗唱されるところとなり、洗礼および主の晩餐の聖礼典との関連で、よく唱えられた。
一定の地域内で、初めて一定の様式をとったのは、「古ローマ信条」であった。2世紀の終わりにかけて、三位一体の洗礼定式を拡充したこの信条が知られ、用いられるようになった。「使徒信条」は、この「古ローマ信条」の子孫である。
信条は
偉い学者たちが
自分の思想をまとめ上げるために
生み出したものではありません
(「偉い学者たち」がその成立過程に関わっていたのは確かですが)
バプテスマの準備という現場の必要に答えて
練り上げられていったものです
しかも
古代の信仰者たちは
形成過程の信条を
命懸けで 伝承していきました
自分の生命に危険が迫る状況の中で
それでも
受け継いでいこうとしたのが
信条の言葉なのです
これほど
情熱と覚悟が込められた信仰告白を
現代の私たちは
持ち合わせているでしょうか?
また
信条は
教会の中に
深い分断 激しい対立が生じた時に
一致点を見いだすために
整えられていったものでした
以下に
デービッド・F・ライトの言葉を
引用させていただきます
4-6世紀は、主に東方教会における長期にわたる論争によって特徴付けられる。それらの論争は、神の子であるキリストがいかにして神自身であるのか(三位一体の教理)、またいかにして人間であり同時に神であるのか(キリスト人性論、キリスト論)といったことについてであった。
このため、司教会議が頻繁に開かれた。それらのうちニケア(325年)、コンスタンティノープル(381年)、エペソ(431年)、カルケドン(451年)の4つは、全キリスト教会(全世界の)を結ぶ公会議として承認されるようになった。(東方教会の幾つかの地域は、エペソとカルケドンでなされた決定を拒否した。)…有名なニケア信条やカルケドン信仰定式など、多くの信条や教理声明が生み出され、大部分のキリスト教界における正統の試金石となった。この時代は、キリスト教神学の形成の上で、他に類を見ないほど重要な時代であった。
「教会会議と信条」『キリスト教2000年史』
4-6世紀に渡ってなされた論争は
(数年ではありません 数世紀です!)
たくさんの人々と
多くの地域を巻き込んだもので
現代の私たちならば
早々に 統合を諦めてしまうほど
激烈なものでした
それでも
教会は 一つであることにこだわり
祈り 思索し 話し合い
声を合わせて 唱えられる告白を
追い求め続けたのです
その数百年に及ぶ 歴史の後に
出来上がったのが 諸信条です
全部を音読しても
数十分もかからない
簡潔な 文言に
古代のクリスチャンたちが
人生をかけて 論じ合ってきた内容が
詰め込まれていると思うと...
軽々しく扱うことは出来ません
「馴染みがないから」
という理由だけで
これらの信条に
触れようとしないなら
なんともったいないことでしょうか?
現代の教会に
神様が生きて働いておられるように
古代の教会の歩みにも
神様は伴ってくださっていました
彼らが
心をすり減らして 会議を重ねていた時にも
神様が そこに立ち会っておられたことを思うと...
そうして出来上がった信条に謙遜に耳を傾けるのは
しごく真っ当なことです
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