私は ドラゴンボール世代です
月曜日には (友達の)ジャンプを読み
水曜日には アニメを見るのが
小学生の時のルーティンでした
フリーザが「この星を消す!」と宣言してから
終結を迎えるまで
毎週 戦いを見守り続けたのを 懐かしく思います
もちろん
子供の頃だけでなく
成人してからも
この偉大な作品を 読み返してきました
(単行本は持ってはいませんが...)
そんなドラゴンボールへの情熱は
どうやら 子供にも引き継がれたようで
次男は、すでに2回も通読したそうです
そのことは
父としては 嬉しいことです
自分の好きだったものについて
子供達と語らえるのは
楽しいものだからです
しかし!
心配もあります!
というのも
ドラゴンボールによって
私の世界観は
随分 歪められてしまったからです
(鳥山明先生、ごめんなさい!)
神観が 矮小化されたのは
言うまでもありません
(だって ナメック星人が「神」なのですから)
それと共に
「永遠のいのち」についても
間違ったイメージを抱くようになったように思います
ドラゴンボールの世界においては
永遠の命は 不老不死 以外の何物でもありません
現在の物理的な命が
損なわれない形で
ただただ永続すること
そんな永遠のいのちの理解を
長い間
聖書に 読み込んでいたように思います
例えば
有名な ローマ人への手紙6:23には
このようにあります
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
私は
ずっと この「永遠のいのち」を
死後に もう一度 与えられるいのちだと思っていました
(原)罪によって死ぬ者となり
実際に(肉体的に)死んだ後に
いのちが与えられる
と...
(ちょうど クリリンが ドラゴンボールで 息を吹き返す感じです)
けれども
箇所の文脈を見すと
全く 別の印象を受けます
あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6:19-22
ここで言われている「死」は
単なる肉体的な死ではありません
むしろ
関係的、霊的、動的な死と呼ぶべきでしょうか?
日々犯す罪によって
死を帯びた 状態にいることを指しています
それと 同じように
「永遠のいのち」も
今のいのちが絶えてはじめて稼動し始める予備電力のようなもの
ではありません
むしろ
今 ここでの 生を
活性化するものです
この箇所によると
聖潔に至る実と
永遠のいのちが
密接に関わっています
また
6:4や8:10-11には このようにあります
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
この「いのち」は
やがて 与えられるものではなく
すでに 御霊によってもたらされ
それによって この「からだ」をも
生かしています
難しい表現を使うなら
(ちょっとだけカッコつけさせてください笑)
彼岸的である前に(彼岸的でもあるのですが!)
此岸的ないのち
なのです
(新たな誤解を生み出してしまうかもしれませんが笑)
どちらかというと
こういうイメージではないでしょうか?
もちろん
潜在能力が引き出されるというよりも
御霊によって キリストの復活に与かるものですし
ただ ただ「力が ふきだしてくる」というよりも
義の奴隷としての歩みを 励ますものなので
単に「戦闘力」が向上するのとは
かなり違っていますが(笑)
しかし
とにかく
「永遠のいのち」は
単なる(この「単なる」が重要です)生命維持装置でも
向こうの世界への通行手形でもないのです
これに限らず
無意識に抱いてしまっている歪んだ価値観は
他にもあるでしょう
それを
聖書によって 修正していきたいですし
子供達にも
(ドラゴンボールだけでなく!)聖書の通読を通して
本当の意味のキリスト教世界観を
形成していって欲しいですね
【関連記事】
ความคิดเห็น